部落差別の起源と変遷、根強く残る差別の現状描く ドキュメンタリー「私のはなし 部落のはなし」公開決定

部落差別の起源と変遷から、根強く残る差別の現状を描いたドキュメンタリー映画「私のはなし 部落のはなし」が、5月21日より劇場公開されることが決まった。

1871年(明治4年)の「解放令」によって賤民身分が廃止されて以降、かつて穢多・非人などと呼ばれた人々が集団的に住んでいた地域は「部落」と呼ばれるようになり、差別構造は残存した。現在では法律や制度のうえで「部落」や「部落民」は存在しないが、いまなお少なからぬ日本人が根強い差別意識を抱えている。「私のはなし 部落のはなし」は、なぜありえないはずのものがありつづけるのか、この差別はいかにしてはじまったのかについて、その起源と変遷から近年の「鳥取ループ裁判」まで、差別の歴史と複雑に絡み合ったコンテクストを解きほぐす作品となっている。

監督は、屠場(とじょう)とそこで働く人々を写した「にくのひと」で第一回田原総一朗ノンフィクション賞を受賞するも、劇場公開を断念せざるをえなかった経験を持つ満若勇咲。プロデューサーに、「なぜ君は総理大臣になれないのか」「香川1区」の大島新を迎えて作り上げた。

満若勇咲監督、大島新プロデューサーのコメントは以下の通り。

【コメント】

■満若勇咲(監督)
現在の部落差別は、その根深さとは裏腹にとても見えにくく分かりづらい。多くの人にとって部落問題は身近な社会問題ではない、というのが正直なところだろう。ぼくも映画制作という機会がなれば意識することはなかったように思う。
「部落問題」を題材にした映画作りは難航した。カメラには映らない。けれど確かにそこにあるものを、どのように映像で表現すればよいのだろうか? 悩んだ末に、ぼくは人々の「はなし」を紡ぐことで、意識の奥底にある「部落問題」の存在を感じさせることが出来るのではないかと考えた。そのために3時間25分という長さが必要だった。
部落問題を解決する道はまだ見つかっていない。撮影することは当事者の方々が差別を受けるリスクを伴う。そのような現実のなか、覚悟を持って今回の撮影に応じてくださった皆さんに心から感謝します。

■大島新(プロデューサー)
ここ数年、私のもとに多くのドキュメンタリー映画の企画が持ち込まれ、「プロデューサーとして参加してほしい」という依頼があったが、「乗った」のは満若勇咲監督の『私のはなし 部落のはなし』のみである。勘が働いた、というしかない。この若者に、賭けてみたい。
出資を決め、企画が動き出してからおよそ 2 年後、3 時間におよぶ編集の第 1 稿を観た時の驚きは忘れられない。やろうとしていることのスケールの大きさに圧倒された。期待を遥かに上回る意欲作が誕生しつつあるという予感に、「おれの勘は正しかった!」と叫びたくなった。
この映画は、まことに饒舌である。そしてその饒舌さゆえに、単純な要約を許さない。だから観た人は、それぞれに受け止め、自らの思いを持ち帰って解釈をするしかない。私はプロデューサーとして、このとんでもない作品をきちんと世に届けなければと、身の引き締まる思いでいる。

【作品情報】
私のはなし 部落のはなし
2022年5月21日(土)より[東京]ユーロスペース、[大阪]第七藝術劇場、シネマート心斎橋にて
ほか全国の映画館で順次公開
配給:東風
(C)『私のはなし 部落のはなし』製作委員会

© 合同会社シングルライン