<南風>裾礁の入り口

 サンゴ礁は航海者にとって危険な暗礁である。英語では航海者の視点で裾礁(きょしょう)の沖側をForereef、岸側をBackreefと言う。ヨーロッパの人々は大航海時代を迎えサンゴ礁に出合ったので沖からサンゴ礁に向き合い言葉を紡いだ。私たちになじみのLagoonも元は海岸沿いの浅い内海「潟湖」を指し、千年の海洋国家ベネチアもラグーンに建設された。

 島に生まれ暮らす人々の視点からは、集落の前の浜が裾礁に続き、その先はニライカナイに続くはるかな沖である。集落から裾礁へは防風林の小道を抜けて行く。薄暗い小道の先にはまばゆい光に満ちた砂浜とイノーが広がる。砂浜とイノーは一体のものだ。浅く光に満ちたイノーでは、旺盛なサンゴなどの成長とともに莫大(ばくだい)な石灰分の骨や殻が作られる。

 生き物の死骸の多くは石灰岩ではなく、細かな砂になってゆく。砂は沖に流されることなくイノーに堆積し、沖からの風に吹き上げられ砂浜を作り、やがて砂丘を築く。砂の動きが落ち着くと植物が繁茂し、心地よい眠気を誘う海風がそよぎ、人々を暴風から守る防風林が成立する。

 サンゴ礁を描いたゴーギャン・田中一村・名嘉睦稔は陰の彩を心得ていて、黒く塗り込まれた陰は光を強調する。陰の中では穏やかな暮らしが営まれ、小道はその先のエネルギーにあふれた世界とつながるトンネルである。

 裾礁の発達の芳しくない喜界島などでは、イノーや砂丘の発達がなく、間近に迫る礁縁付近の石灰岩を高く積み上げて防風壁を作る。最近では前の浜に降りるのに国道を渡らなければならない集落が増えた。防波堤に守られた国道はかつての砂丘や礁縁であることが多い。防波堤に立って裾礁を一望するのは、フロンティアを夢見た来訪者の視点である。

(中野義勝、沖縄県サンゴ礁保全推進協議会会長)

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