<南風>水文学

 大陸で風水を学んだ蔡温は「山林真秘」を記して合理的な営林を進めた。その一端が垣間見える写真の話を聞いた。山原の奥集落辺り、王朝以来の営林法が維持され、下生えが刈られた明るい林床が写っていたという。海まで迫る山々の豊かな水に育まれた木材は船で那覇に運ばれ、首里城の建材にも使われた。山から木材を引き出す風俗は国頭(クンジャン)サバクイとして集落に伝えられている。

 嘉陽ではかつての水田に迫る里山の斜面が切土され猪垣が整備されていた。垣の上端にはテーブル状のサンゴが庇(ひさし)のように埋め込まれイノシシの行く手を阻み、垣の導く先には落とし穴も仕掛けられていた。テーブル状のサンゴは裾礁(きょしょう)の外で多産する。沖合から集落の河川を伝って船で運んだものだろうか。山が海に迫る山原では人々は河口に住まい、裾礁の口で外界とつながっていた。

 裾礁が隆起するとイノーは原や平とも呼ばれ田畑にできるが、土壌は薄いので流失しないように大切に管理された。雨水は多孔質の琉球石灰岩を浸透し、現生のイノーに栄養を運び育む。隆起した礁原では少し掘れば井戸が、礁斜面のサンゴ礁段丘の下では湧き出す泉(カー)が生活を潤す。

 備瀬集落では神をつかさどる家とは別に井戸をつかさどる家があると言う。百名の受水走水は琉球の稲作発祥の地として尊ばれている。地表の流域と地下水脈は尾根筋で区切られ、岬に挟まれたイノーに注ぐ。風水を読めば集落は開け栄える。

 サンゴ礁だけが海面に残る環礁では、サンゴの死骸が潮流に吹き寄せられた洲島ができる。洲島の地下には海水が浸入するが、雨水がその上に乗るように蓄えられる。人々はここにタロイモの田を営み生活する。水の営みを知る学問を水文学という。サンゴ礁の暮らしを支える知識ではある。

(中野義勝、沖縄県サンゴ礁保全推進協議会会長)

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