第33回「頭脳警察黎明期 ①」

1968~69年、渋谷駅南、いまは桜丘口地区の再開発に伴い取り壊されてしまったヤマハ音楽振興会の通称、“崖の上のヤマハ”と呼ばれた渋谷エピキュラス。

のちに中島みゆきなどを中心に大量に所属アーティストのレコーディングが行なわれたスタジオ&ライブホールがあった。そこでは、りりィの歌手生活何周年かでステージに呼び出され、「私は泣いています」をデュエットした思い出もある。

だが今日の話はそのエピキュラスの話ではなく、その崖の下にあった小さな小さな劇場。『ヘアー』から始まる寺山修司と袂を分かった東由多加が作った東京キッドブラザース(当時まだキッド兄弟商会だったかもしれない)の常設小屋だ。

何かの芝居の幕の裏でクリエイションの竹田和夫とギターでガチャガチャ遊び、帰り際になってロシア風の毛皮の帽子を被った男に話しかけられたのが、横川純二との出会いであった。後に頭脳警察の初代マネージャーとなる横川は、世界的カメラマン、サム・ハスキンスの助手として同行していたアフリカ撮影から戻ったばかりだという。膨大な量のチャップリンのフィルムを所有し、これをどこかで上映したいのだが…という話だったかなと記憶しているが。

のちに霞町(西麻布)に事務所を構え、いついかなるときもスリーピースのスーツにネクタイ、業界からも一目置かれ慕われた横川と、共に頭脳警察として活動するようになるとは、このときまだ夢にも思ってはいなかった。

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