大雪の中で始まった石川県知事選挙
足もとには雪。空を見上げても雪。強い風に吹かれながら一歩踏み出すと、足がずぶずぶと雪に飲み込まれた。靴の隙間から滑り込んだ雪が体温で溶け出して水になる。水は靴の中をぐちゃぐちゃにし、つま先をひどく冷やした。
寒い。冷たい。風が強い。波乱を暗示するような荒天となった2月24日(木)、石川県知事選挙が告示された(3月13日投開票)。
私は告示日の朝から3日間、石川県内で行なわれる各候補者の演説会場を回ってきた。まだ誰も踏み固めていない雪の上に足を置くと、一気に膝まで埋もれた。すっかり雪まみれになった私を見て、そばにいた地元の男性が笑いながら話しかけてきた。
「今回の知事選もあんたと同じでぐちゃぐちゃよ(笑)。本当にややこしい。『横一線』の大激戦で、誰が当選するかは最後までわからんね」
男性は膝下まである長靴を履いていた。私はくるぶしまでしかない防水のトレッキングシューズだった。私の格好は明らかに石川県の中で浮いていた。
「どっからきたの? わざわざ東京から!? 遠いところをご苦労さんだねえ。まあ、たしかに今回の知事選はよそからでも見にくる価値があるかもしれん」
私に声をかけてくれたのは、この男性だけではなかった。取材用のカメラを持って演説会場に足を運ぶと、どこへ行っても気さくに話しかけられた。気温は低くても石川県民はあたたかい。そして驚いたことに、拙著『コロナ時代の選挙漫遊記』(集英社刊)の読者からも何回か声をかけてもらった。そのうちの一人は自民党の市議だった。
「あ! 畠山さん! オレ、選挙漫遊記、発売直後に政務調査費で買いましたよ!」
突然の呼びかけに驚いた。政務調査費で買ったと聞かされて反応に困った。私より少し年長だという市議は興奮した様子で話を続けた。
「あの本に出てくる選挙と比べても、今回の石川県知事選挙は、1、2を争う非常に複雑な構図の選挙だと思いますよ!」
私が質問をする前に、その男性市議は石川県政の歴史を解説してくれた。
「石川県で今ご存命のほとんどの人は、人生のうちで2人しか知事を知らないんです。60代、70代……いや、物心ついてからだと、80代の人もそうかもしれん。今の谷本正憲知事が7期28年、その前の中西陽一知事が8期31年。石川県はもう60年近く保守系知事が続く保守王国なんですよ。だけどね……」
彼は一息入れてから言葉を続けた。
「谷本さんが進退を明言する前の昨年7月に、馳浩さんが『後継だ』と言って名乗りを上げたところから歯車が狂ってきた。その後、山田修路さんが名乗りを上げた。そして前から出ると囁かれていた山野之義さんも出馬を表明した。28年ぶりの『現職不在の知事選』に保守系が3人立候補する『保守分裂』選挙になっているんです」
ややこしい構図に困る有権者
誰が当選しても「新しい知事」が誕生する今回の石川県知事選挙には、届出順に次の5人が立候補している。いずれも無所属の新人だ。
飯森博子(いいもりひろこ)/(62歳=共産推薦)・新日本婦人の会県本部会長
山野之義(やまのゆきよし)/(59歳)・前金沢市長
山田修路(やまだしゅうじ)/(67歳=立民県連推薦)・前参院議員
馳浩(はせひろし)/(60歳=維新推薦)・元文部科学相
岡野晴夫(おかのはるお)/(71歳)元会社員
構図としてわかりやすいのは、共産党の推薦を受ける飯森博子候補と無所属の岡野晴夫候補の2人だろう。ところが自民党系の無所属候補、山野、山田、馳の3候補(届出順)を取り巻く状況が非常にややこしい。
まず、自民党石川県連は、山田修路氏、馳浩氏の2人を同時に「支持」した上で自主投票とした。公明党も自主投票だ。
一方、知事選の直前まで金沢市長を務めていた山野氏は、出馬表明の遅れもあって自民党県連からの「支持」は得ていない。しかし、自民党の一部県議や市議、「石川維新の会」の幹事長・小林誠県議の「後援会メンバー」らが支援している。
さらに複雑なのは、自民党の前参議院議員(石川県選出)を8年務めた山田氏が、自民党県連の「支持」だけでなく、立憲民主党石川県連からも推薦を受けたことだ。山田氏は社民県連合からの支援、そして、連合石川の推薦も受ける。そのため山田氏の演説会場では、自民党の西田昭二衆議院議員(石川3区)と立憲民主党の近藤和也衆議院議員(比例北陸信越ブロック)が同席してマイクを握るシーンも見られた。西田議員と近藤議員は昨年の総選挙で直接対決したばかりだ。
そんな中、参議院1期、衆議院7期の計27年間国会議員を務めた元文科相の馳浩氏には日本維新の会が単独推薦を出している。馳氏の出陣式には、日本維新の会の藤田文武幹事長も駆けつけて挨拶した。馳氏の活動には、安倍晋三元首相、高市早苗政調会長、小泉進次郎衆議院議員など、中央政界の著名人が複数応援に駆けつけている。
各陣営の選挙事務所を回ってみると、複数の事務所に「為書」を送っている首長がいることがわかった。同じ場所で行なわれた複数の陣営の街頭演説でマイクを握る首長もいた。それぞれの立場や思いが複雑に入り組んでいる。そのため有権者の中には「保守系の3人の違いがわからない」「誰に入れるべきかものすごく迷う」と正直に話す人もいた。
どうだろう。石川県の人が口を揃えて「ややこしい」と言うのだから、石川県以外の人には、もう、なにがなんだかわからないのではないだろうか。
現職・谷本正憲知事の動向
大混戦の中で気になるのが現職の谷本正憲知事の動向だ。谷本知事は、山野氏、山田氏、馳氏の3陣営(届出順)の出陣式に激励のメッセージを寄せた。告示2日後の2月26日には、3陣営の事務所を届出順に回って陣中見舞いをした。保守系3陣営はいずれも谷本県政を高く評価する立場だが、谷本知事自身は明確な「後継指名」をしていない。そのことも今回の知事選をわかりにくくしている一因だ。
ここで石川県の選挙区事情を簡単に振り返ってみよう。今年3月1日時点での選挙人名簿登録者数は945,307人。そのうち金沢市は376,237人。実に39.8%を占める大票田だ。今回立候補している3人の保守系候補のうち、唯一、自民党県連からの「支持」を得ていない山野氏が接戦に加わっている理由がここにある。金沢市長としての3期11年2カ月にわたる行政手腕は市民から高い評価を受けていた。
「金沢市は山野さんが強いと思いますよ。馳さんも衆議院議員時代は1区でしたけど、市民との距離感は山野さんの方が近いと思います」(金沢市内で飲食店を経営する男性)
しかし、石川県は広い。加賀地方や能登地方に足を運ぶと、山野氏の知名度はあまり高くなかった。時折、山野氏のキャッチコピーである「未来への約束」というのぼり旗を見つけることはできた。しかし、その数は山田氏ののぼり旗に比べると圧倒的に少ない。
逆に金沢市以外の地域で知名度が高かったのは、全県を選挙区としていた参議院議員の山田修路氏だった。能登地方で見かけた自民党の広報板には「まるっと石川 即戦力」というコピーとともに、男性のシルエットが描かれたポスターが数多く掲示されていた。山田氏が自民党の議員と一緒に並んだ「のぼり旗」も各所で見られた。
見た目の選挙運動が一番「派手」なのが馳浩氏だ。SNSでの発信も候補者の中で一番多い。県内各地での街頭演説には地元の地方議員が同席して簡単な応援演説をする。大きな集会では誰もが知っているような著名人をゲストに招く。出馬表明も昨年7月と一番早かった。文科相としての知名度、人脈の広さでは他の候補を一歩リードしているように見える。
ただし、街中で行なわれる街頭演説に集まる人の数は、しっかり動員して行っている山野氏、山田氏に比べて少ないケースが見られた。