【汐留鉄道俱楽部】キハ40系ディーゼルカーは、国鉄時代の1977年から82年にかけて888両が製造された。JR発足後も各地で活躍しているが、ローカル私鉄などに移籍する車両も出てきた。今回はJR東日本の只見線(福島、新潟県)から引退し、小湊鉄道(千葉県)で昨年、「第二の人生」をスタートさせた2両を訪ねた。
2月下旬の土曜日。昼前にJR内房線の五井駅に降り立った。すぐに小湊鉄道のホームが見える。発車を待っていたのは小湊オリジナルのキハ200形(61~77年製造)。お目当ての2両のキハ40形は連結されて車庫の前に止まっていた。運転スケジュールは社内規定により公表できないとのことだったが、ほどなくして12時24分発の上総中野行きとしてそのまま運用に入った。
エンジンをうならせ、ゆっくりと動き出す。車掌さんのアナウンスの前に、国鉄時代に聞き覚えのあるチャイムが流れた。オールロングシートのキハ200形とは違い、ボックスシートが中心なのは車窓の田園風景を味わうのに好都合だ。沿線には、桜や菜の花と列車を撮影できるポイントがたくさんある。春になると、キハ40形を狙って多くの撮り鉄がやってくることだろう。
年季の入った車体を上下左右に揺らしながら、約1時間半で終点の上総中野駅に到着。そこでは、接続するいすみ鉄道のキハ52とキハ28の2両編成と並んだ。こちらも国鉄時代の車両で、完全に昭和にタイムスリップした。
さて、キハ40系は当初、車両の両端に運転台があり、片開きドアの「キハ40」、運転台は車両の片方だけでドアが両開きの「キハ47」、そして片運転台、片開きドアの「キハ48」の3形式だった。その後エンジン換装などさまざまな改造を受け、形式名まで変えた車両もある。これも第二の人生と言えそうだ。
その筆頭格は、JR九州で2015年から運行している「或る列車」だろう。JR四国で走っていたキハ47形2両が、金色の「キロシ47形」に生まれ変わった。工業デザイナーの水戸岡鋭治氏が豪華な内外装を担当し、総工費は約6億円とのこと。鉄道好きなら一度は乗ってみたい列車だ。JR九州ではキハ40系を改造した観光特急がいろいろと走っているが、そのうちの「はやとの風」が3月で運行を終了。使用されていた車両が再改造され、秋から「ふたつ星4047」としてお目見えする。ベースになったキハ40、47形が列車名に取り入れられた。こうなると「第三の人生」と言えなくもない。
変わり種は、JR西日本の播但線(兵庫県)の非電化区間で運転されているキハ40系。片運転台のキハ47形を両運転台とし、キハ41形を名乗っている。運転台が新設されたサイドの“顔”は、いかにも「後付けしました」という風で、9年前に初めて見た時の「何だ、こりゃ」感は忘れられない。
そんなキハ40系も、寄る年波には勝てず、数を減らしている。JR東日本と東海では既に定期列車から姿を消した。その一方で、北条鉄道(兵庫県)では3月からキハ40形1両を導入。海を渡ったミャンマーでも走っているという。1両でも多くのキハ40系が、第二の人生を送れることを願いたい。
☆共同通信・藤戸浩一 約30年在籍したスポーツ系の職場から、デジタル媒体にニュースを提供する職場に異動しました。第二の人生、頑張ります。