「青い目の人形」探しています 95年前にアメリカから寄贈 沖縄には68個

 【大宜味】「青い目の人形の行方を知りませんか」。フリーアナウンサーで童謡の語り部活動を行う伊良皆善子さん(76)=沖縄市=は、1927年にアメリカから日本に友好の証しとして贈られた「青い目の人形」を県内で探し続けている。伊良皆さんの調べでは、沖縄には68個が届いたことが分かっているが、現存する人形は確認されていない。

 米国から人形が贈られたのは、野口雨情作詞の童謡「青い目の人形」が日本で発表され流行した6年後だ。日本で宣教師をしていたシドニー・ギューリックが日米関係の悪化を憂い提案。米国中から1万2729個が集められ、日本の小学校などに配られた。実業家の渋沢栄一が受け入れに尽力した。

 伊良皆さんによると、当時の資料から人形が宮古・八重山や離島を含む県内68の学校に贈られたことが分かった。北谷町の女性から「小学生の時、先生が青い目の人形を持ってきた」との情報を得たり、名護市で当時、人形と児童らと一緒に撮影した写真も見つかったりしている。

 人形は童謡の効果もあり日本各地で歓迎されたが、第2次世界大戦が始まると「敵国の人形」として処分された。心ある人々が隠した人形が戦後、全国で約300体見つかっている。

 13日、伊良皆さんは大宜味村塩屋で講演し、野口の弟子の泉漾太郎(ようたろう)さん=栃木県、96年没=が童謡「青い目の人形」について記した「この童心には国境がない。この童心には格差がない。この童心は和を教える」との言葉を紹介した。93年に面会した伊良皆さんに、泉さんは「敵国の歌を作るとは何事、と雨情先生は軍部にずいぶんいじめられた」と回想したという。

 「この歌は沖縄の『いちゃりばちょーでー(行き交う人は皆きょうだい)』と同じ。愛と平和のメッセージだ」と語る伊良皆さん。「歌の背景や、他国を認め合う素晴らしい交流が昭和初期にあったことを知ってほしい」と願うとともに、沖縄に現存する青い目の人形を探している。

 人形の情報は(電話)098(932)7736、プロジェクトゼンコへ。伊良皆さんは26日午後2時から、沖縄市民会館中ホールで童謡や青い目の人形について講演する。

 (岩切美穂)

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