元ドジャースのトミー・デービスが死去 1962~63年に連続首位打者

1962年から2年連続で首位打者に輝いたトミー・デービスが現地時間4月3日の夜に83歳で亡くなっていたことが明らかになった。アリゾナ州フェニックスで家族に見守られながら息を引き取ったという。ニューヨーク州ブルックリン出身のデービスは、ドジャースがロサンゼルス移転後に初めて首位打者のタイトルを獲得した選手であり、1962年に記録した230安打はロサンゼルス移転後の球団記録、153打点はブルックリン時代も含めた球団記録として現在も残っている。なお、葬儀は未定となっている。

1939年3月21日にブルックリンで生まれたデービスは、ニューヨークのボーイズ高校で野球とバスケットボールの両方で活躍。1956年にヤンキースと契約することが決まっていた。ところが、1956年にドジャースで現役最後のシーズンを過ごしていたジャッキー・ロビンソンはデービスに電話をし、ヤンキースではなくドジャースと契約するように勧めた。スカウト部長のアル・キャンパニスもデービスの母がドジャースファンであることを把握しており、ロビンソンの言葉が決め手となってデービスを手に入れることに成功した。

デービスは1959年9月に20歳でメジャーデビューを果たし、翌年は新人王投票5位にランクイン。1962年に打率.346、27本塁打、153打点、18盗塁、OPS.910という自己最高のシーズンを過ごし、1963年も打率.326をマークして2年連続の首位打者に輝いた。1966年までドジャースでプレーしたあと、メッツ、ホワイトソックス、パイロッツ、アストロズ、アスレチックス、カブス、オリオールズ、エンゼルス、ロイヤルズと多くのチームを転々とし、1976年限りで引退。メジャー通算1999試合に出場して2121安打、打率.294、153本塁打、1052打点、136盗塁、OPS.733をマークした。

首位打者に輝いた1962~63年はオールスター・ゲームにも選出され、1963年にはワールドシリーズ制覇も経験。その後、1966年、1971年、1973年、1974年にもポストシーズンの舞台でプレーした。ポジションは左翼がメインだったが、三塁と中堅でも通算100試合以上にスタメン出場し、現役最後の4年間はDH制が導入されたため、ほとんどDHに専念。一塁、二塁、右翼も守った器用な選手だった。

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