バスと電車と足で行くひろしま山日記 第26回神ノ倉山(かんのくらやま 広島市安佐北区)

わたしたちの目を楽しませてくれた桜の季節も終わり。広島市内のソメイヨシノはほぼ葉桜となってしまった。山々はこれから山野草の季節になっていくのだが、まだ満開の桜を楽しめる花の名所があった(2022年4月8日時点)。広島市の北部、安芸高田市との境近くにある神ノ倉山(561.5メートル)だ。個人が私財を投じて山頂に整備した花の回廊と、県内では数少ないパラグライダー・ハンググライダー滑空場からの絶景を見に行ってみよう。

▼今回利用した交通機関 JR芸備線・山陽線・可部線(おとな片道770円) *時刻は休日ダイヤ
行き)横川(8:48)→(8:54)広島(9:02)→(10:00)井原市
帰り)井原市(13:59)→(15:04)広島(15:08)→(15:13)横川


今回は乗車券を買って乗車


最寄り駅はJR芸備線の井原市(いばらいち)駅。狩留家駅より北ではICカード乗車券のイコカを使えないことは白木山の回で学習したので、抜かりなく乗車券を購入する。広島駅で2両編成の三次行き気動車(ディーゼルカー)に乗りかえる。好天とあって車内には登山姿の人が多い。白木山駅では以前の筆者と同じようにイコカで乗ってしまった人が、精算のための証明書を運転士に書いてもらっていた。駅近くには白木山に向かった人たちが乗ってきた20台近い車が止められていた。さすがは人気の山だ。ちなみに井原市駅でもイコカで乗ってしまった登山者2人が運転士に対応してもらっていた。ワンマン運転だけに終わるまで発車できないので大変だ。


案内板に導かれて登山口へ


簡素な駅舎を出て登山口へ向かう。市街地を抜け、三篠川にかかる井原大橋を渡る。三篠川沿いは桜並木が植えられている。散り初めの時期だったが、背景の神ノ倉山との対比が絵になる。対岸に渡ってからはいくつか岐路があるのだが、要所要所に手製の案内板がある。「登山者が迷わないように」という地元の人たちの心遣いを感じる。

登山道の案内標識。要所にあるので迷うことはない

10分ほどで登山口に到着。すぐ近くに北田城址があるので寄っていく。大小8つの郭(くるわ)や堀切で構成されるなかなか本格的な山城だが、城主名はわからないそうだ(「日本城郭体系13 広島・岡山」)。

登山口の近くにある北田城址

北田城址の縄張り図

登山口からは整備された登山道を行く。30分ほどで標高約410メートルの尾神ノ峠に着く。安芸高田市側からの車道が合流し、ここから約1キロほどの稜線が「神乃倉山公園」だ。

尾神ノ峠に立つ大歳神社。この先から公園が始まる


個人の情熱が生んだ山上の楽園


ここは1950年代から、地元在住の故谷岡國一氏が整備した私有の公園だ。広島市が町内会や自治会などによる地域のホームページの開設・運営を支援している「こむねっとひろしま」にある「井原地区ホームページ」などによると、谷岡氏は戦傷と長崎での被爆体験があり、故郷の山を平和のシンボルである桜の花で彩ろうと一念発起。旧白木町から神ノ倉山の7合目以上の町有林600ヘクタールを購入して私費を投じて公園として整備した。1989年に亡くなった後は子息が後を引き継いで整備を続けてきたが、その方も亡くなり、いまは有志の人たちが維持管理を続けているのだそうだ。

公園のスタートは「宇宙広場」と名付けられた広場だ。名前の由来はわからないが、「平和共存 人類は一つの家族」「昭和56年春 谷岡國一」と彫られた巨大な石碑が目を引く。ウクライナの戦火が止まぬ中、なぜこの言葉の通りにならないのかな、と思う。

谷岡氏のメッセージを刻んだ石板もあった。

「今日も又明日も又神乃倉 山で愛する花がまつ この道自分が決めた道 人が歩いた道じゃない (中略) 俺は散っても春は来る(後略)」。生涯をかけて山上の公園整備にかけた情熱が伝わってくる。

「宇宙広場」の石碑

謎の大釜。別の広場にもあった


花の回廊を行く


園内は周遊路となる遊歩道が整備されている。車道もあり、車で園内をめぐることも可能だ。「宇宙広場」を出て遊歩道を歩く。標高が高いだけに、ソメイヨシノもまだ満開に近い。この時期にこれだけ見事な花見ができるとは思わなかった。風が吹くと花吹雪に包まれて一層風情を感じる(動画もご覧ください)。

沿道にはソメイヨシノ以外にもさまざまな花が咲いている。濃いピンク色が印象的な八重桜、鮮やかな黄色の花を咲かせるレンギョウ、白いハクモクレンも美しい。まさに花の回廊で、歩いて楽しく、癒される。花木の中には地元の中学生が植樹したものもあるそうで、多くの人の努力と協力でこの素晴らしい景観が保たれているのだ。

桜咲く遊歩道

鮮やかな黄色の花をつけるレンギョウ

白い花が鮮やかなハクモクレン

「宇宙広場」から20分ほど歩くと、道路をまたぐ赤い橋が見えてきた。「さくら橋」というのだそうだ。橋につながる遊歩道の入り口に、柴犬の写真が入った張り紙があった。読むと、1年半前まで公園に「ハナ」という柴犬がおり、ヘビを退治してくれていたのだが、亡くなったので気を付けてほしいという内容。ここで飼われていたのだろうか。賢い犬がいたものだと感じ入る。

賢いワンコがいたのです

さくら橋と八重桜

ツツジやアセビの花を愛でながらさらに歩くとほどなく山頂碑のある広場。最高点561.2メートルの三角点はもう少し先、珍しい円形の藤棚がある広場にある。石垣に囲まれた直径数メートルほどの場所に梯子がかけてあり、せっかくなので登ってタッチした。

ツツジも見ごろ

アセビも咲いていた

山頂広場

珍しい円形の藤棚


絶景のフライトエリアで昼食


山頂からゆるやかに下ること約10分、芝生に覆われたパラグライダー、ハンググライダーの滑空場「神の倉山フライトエリア」に着いた。運が良ければ大空に飛び出すフライトの様子を見学できるのだが、この日はすでに飛び立った後のようだった。ブログなどを見ると、ここから飛び立って約2500メートルの高度まで上がり、30キロ以上も離れた太田川放水路の河川敷に着陸することもあるそうだ。三篠川を挟んで反対側の荒谷山にも滑空場があり、風向によって選択できるそうだ。

パラグライダー・ハンググライダー滑空場の入り口

芝生に覆われた滑空エリア。ここから飛び出す

横から見るとこんな感じ

フライトを見られなかったのは残念だったが、遮るものがない展望はすばらしい。眼下に井原市の町並みや三篠川、遠く西中国山地まで望める。芸備線の気動車が鉄道模型のように走っていく様子が面白い。暖かな日差しの中、芝生に腰かけてお約束(とはいえ久しぶり)のむさしの若鶏むすびを食べていると、日頃のストレスが消えていった。

広島市方面を望む

神ノ倉山の山頂方面

絶景を満喫しながらむさしのお弁当(若鶏むすび)


古城と城館跡へ


満足の昼食を終えて下山にかかる。時刻は12時40分。芸備線の昼間のダイヤは1時間に1本程度。13時59分井原市駅発の下り列車に間に合わせたいところだ。下山路は登りに比べて総じて道幅は狭く、急傾斜で滑りやすい場所も多いので、注意を払いつつ急ぐ。

30分ほどで標高312メートルの鍋谷城址に着いた。ここは毛利元就の家臣だった井原氏の居城だった。井原氏は室町幕府を開いた足利尊氏の執事だった高師直の末弟師久の子が地頭として赴任、地名の井原姓を名乗ったという。井原氏は毛利氏が関ケ原合戦の敗北後に防長2国に移封された際に付き従って三尾(現在の山口県周南市三丘)に移り、鍋谷城も廃城になった。

井原氏の居城だった鍋谷城址

城跡は郭や土塁などが良く残っており、先端部の「ふんばり岩」から眺めると井原の町や三篠川、街道を扼するのに絶好の位置にあることがわかる。少し下ったところに「躍の段」と呼ばれる平地があり、出陣の際の軍勢の集合場所だったといわれている。

躍の段。合戦の際に軍勢が勢ぞろいする広場だったという

13時30分、無事下山。すぐ近くの民家には巨石が使われた立派な石垣があり、井原氏の居館の跡だと説明する看板が立っていた。400年以上も前の石垣がそのまま使われているのはすごい。

井原氏の居館跡の石垣。いまは民家になっている

ここから井原市駅まではグーグルマップによれば徒歩約25分の道のり。13時59分に間に合うのか、なかなか微妙な時間だ。しかし、これを逃すと次は14時57分まで待たなければならないので行くしかない。三篠川沿いの桜並木の道を時々走りながら駅に向かい、10分前に無事到着した。

総歩行距離は8.8キロ。花と歴史と人の想いに触れた充実の山行だった。

麓から見た滑空場

2022.4.9(土)取材 《掲載されている情報は取材当時の内容です。ご了承ください》

ライター えむ
還暦。50代後半になってから本格的に山登りを始めて4年ほど、中四国の低山を中心に日帰りの山歩きを楽しんでいます。できるだけ公共交通機関を利用しますが、やむを得ない場合に時々レンタカーを使うことも。安全のためトレッキングポールは必ず携行。年齢のわりに歩くのは速い方です。
■連載コラムバスと電車と足で行くひろしま山日記

© 広島ホームテレビ