パレスチナ自治区ガザの「現実」から見るウクライナの「未来」 終わらない「不発弾との戦争」、トラウマに苦しむ市民

2021年5月14日、パレスチナ自治区ガザで、イスラエル軍による空爆後に煙が上がる建物(ゲッティ=共同)

 終わりの見えない激しい戦闘がウクライナで続いている。だが仮に戦闘が終結しても、それで終わりではない。随所に残る不発弾、爆撃を受けた子どもを襲うトラウマ。ウクライナとは戦闘の規模も政治的背景も異なるが、パレスチナ自治区ガザは昨年5月、イスラエル軍の大規模空爆に11日間、さらされた。現代の戦争は市民に何を残すのか。その傷跡を辿った。(共同通信=平野雄吾)

 ▽抱きかかえると指が首の深くまで入っていった

 「停戦後も私たちは不発弾との戦争の中に生きているんです」。ガザ市の自宅でサラハディン・ダハドゥーハさん(54)は5男オバイダ君の遺影を見つめ、静かに語った。8歳だったオバイダ君は停戦から約3週間後の昨年6月9日夕、不発弾の爆発に巻き込まれた。

オバイダ・ダハドゥーハ君が不発弾の爆発に巻き込まれた自宅の前に立つ父サラハディンさん=2021年11月8日、パレスチナ自治区ガザ

 自宅近くの畑で約20センチの金属の塊を発見、近くにいた兄アハマドさん(17)に渡そうとした際、地面に落とした。衝撃で爆発した破片が首に刺さり、オバイダ君は手術を2回受けたが10日未明、死亡が確認された。

 「私は自宅で本を読んでいましたが、爆発音と叫び声を聞き外に出ると、血だらけの子どもたちが倒れていました。オバイダの首の傷は深く、抱きかかえたとき、私の指が首の深くまで入っていくほどでした」

 サラハディンさんが当時の様子を振り返る。アハマドさんは手を負傷、手術をしたが、現在も指が曲がったままだ。

 アハマドさんは「弟はよく、ぼくの後をついてきてサッカーをしたり、ビー玉で遊んだり…。笑顔が絶えない弟だった」と悔しさをにじませた。

オバイダ・ダハドゥーハ君の遺影を前に、思い出を語る父サラハディンさん(左)と兄アハマドさん=2021年11月8日、パレスチナ自治区ガザ

 エルサレムの聖地「神殿の丘」で発生したイスラエル警察とパレスチナ人との衝突をきっかけに、イスラエル軍とガザを実効支配するイスラム組織ハマスは昨年5月10日から21日まで大規模戦闘を展開、ハマスがイスラエル領内にロケット弾を撃ち込む一方、イスラエル軍はガザを大規模空爆、60人以上の子どもを含むパレスチナ人約250人が死亡した。

 専門家によると、一般的に撃ち込まれる爆弾の約10%は不発に終わるといい、相当数の不発弾がガザに存在する。ハマスがイスラエル領内に撃ち込もうとしたが届かずにガザ内部に着弾、不発弾になるケースもある。

 こうした不発弾を処理するのは国連地雷対策サービス部(UNMAS)とガザ警察だ。関係者によると、昨年11月までに不発弾の爆発は4件発生し、オバイダ君が死亡したほか、子ども9人が負傷した。ガザ警察などは停戦後約2カ月間で約1360発を撤去、現在も作業を続ける。

イスラエル軍の不発弾を展示する施設で、撤去の現状を語るガザ警察のムハンマド・ミクダド氏=2021年11月9日、パレスチナ自治区ガザ

 ガザ警察のムハンマド・ミクダド氏は、不発弾は学校や住宅の地下でも見つかったと説明、「不発弾の存在は住民に精神的にも不安を与えている」と強調する。地下10メートル以上の深さに埋まっていることもあり、1発処理するのに2週間近くかかる場合もある。防護服などの不足も顕著で「安全に処理するための最新機材を提供してほしい」と国際社会に訴えている。

 ▽言葉を失った少女

 イスラエル軍の激しい空爆は物理的に多数の建物を破壊しただけでなく、精神的にも多くのガザ市民を苦しめた。その苦痛は戦闘後もトラウマという形で蘇り、心の不調は続く。国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)のガザ地区責任者、トーマス・ホワイト氏は昨年11月、ガザの子どもの半数以上に精神的ケアが必要だと述べたが、専門家は状況は現在もほとんど変わらないと指摘する。

次女スージーさん(左)の心の傷について話すリヤド・イシュコンタナさん=2021年11月8日、パレスチナ自治区ガザ

 「娘はあの日以来、私以外の誰とも話さなくなった」と話すのはガザ市内のホテルで働くリヤド・イシュコンタナさん(43)。次女スージーさん(8)の頭を撫でたが、少女の顔に笑顔はない。

 昨年5月16日未明、12階建てアパートの4階の自宅は空爆で破壊され、妻アビールさん(29)と4人の子どもが犠牲になった。がれきの下敷きになったが、リヤドさんは6時間後に、スージーさんは10時間後に救助された。

空爆後、がれきの中からリヤド・イシュコンタナさんを救出する救急隊員ら=2021年5月16日、パレスチナ自治区ガザ(イシュコンタナさん提供)

 「テレビのニュースを見ていると、窓の外に赤い閃光を見ました。その瞬間に壁が崩れてきてテレビが地面に落ちたんです。子ども部屋に行き、妻がいたのを確認したとき、建物が崩れました」

 リヤドさんが空爆の瞬間を振り返る。

 「気が付くとあおむけで、胸の上にはがれきがあって動けませんでした。(長女)ダナと(三女)ラナが『パパ、パパ』と叫んでいるのが聞こえ、応答したかったのですが、声が出ないんです。しばらくすると、子どもたちの声は消えました」

 イシュコンタナ一家はガザ市のワハダ通りに暮らしていた。11日間の空爆で最も被害の大きかった地区の一つだ。国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチ(HRW)の昨年7月の報告書によると、ワハダ通りでは4分間に18~34回爆撃があり、子ども18人、女性14人を含む市民44人が死亡。HRWは「国際人道法は意図的な民間人への攻撃を禁止している」としてイスラエル軍の空爆を「戦争犯罪」に当たると非難した。

 リヤドさんとスージーさんは顔や手に傷を負ったが軽傷で、2人とも数日で退院した。しかし、スージーさんはしばらくの間、言葉を発しなかった。「私と話ができるようになるまでにも1カ月から1カ月半ぐらいかかりました」とリヤドさん。同年代のいとこと遊んでいても、突然怒りだすことがあるという。

 ▽惨劇の記憶、蘇る悪夢

 空爆の惨劇が蘇り、夜寝られないと話す子どももいる。女子高校生サマア・アヘルさん(16)は「ほぼ毎晩悪夢にうなされる」と訴える。

 5月12日早朝、ガザ市内の自宅周辺を爆撃が襲った。アパート3階の自宅ベランダが崩壊、家族8人で路上に出ると、信じ難い光景を目にしたとサマアさんは振り返る。

「夜眠れない」と訴えるサマア・アヘルさん=11月8日、パレスチナ自治区ガザ

 立ちこめる煙、降り注ぐがれきの破片―。土ぼこりが巻き上がる中、炎に包まれた乗用車が次々と宙を舞った。我が子の名前を呼び続ける男性。「アラー・アクバル(神は偉大なり)」と叫ぶ別の男性。「あのときの様子が夢に出てきて目が覚める」とアヘルさん。イスラム教の早朝礼拝をするため、午後10時には就寝するが、午前1時には目が覚める。

 人権団体「ディフェンス・フォー・チルドレン・インターナショナル」パレスチナ支部のムハンマド・アブルクバ調査員は「ガザの子どもの精神状態は停戦後、現在まで大きな変化はなく、トラウマが続いている」と話す。「必要なのは安全と安心できる環境だ」と指摘し、こう付け加えた。

ガザの子どもの精神状況について話すムハンマド・アブルクバさん=2021年11月7日、パレスチナ自治区ガザ

 「ウクライナでも同じ状況ではないでしょうか。爆撃や破壊の音を聞いたり、壊された街や死体を見たりするのは子どもにとって恐怖でしかありません。ガザと同様、夜間におねしょをしたり、悪夢にうなされ眠れなくなったりする子どもが出てくるに違いありません」

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