旧日本海軍パイロット・杉田庄一 77年目の慰霊 有志集う 顕彰碑に平和誓い 浦川原区小蒲生田

 太平洋戦争中、旧日本海軍航空隊のエースパイロットとして活躍した杉田庄一(1924~1945年)の慰霊行事が15日、浦川原区小蒲生田の生家跡にある顕彰碑前で行われた。有志や杉田の親族でつくる「杉田庄一の実績を伝承する会」主催。

顕彰碑の隣に、杉田の命日の頃咲くようにとソメイヨシノが植えられた

 杉田は1939(昭和14)年の旧日本海軍入営以降、戦闘機パイロットとして南太平洋や四国、九州を転戦し「撃墜王」の異名を取ったが、45(同20)年4月15日、鹿児島県の鹿屋基地を離陸直後に戦死。20歳だった。

 「伝承する会」のメンバーは小雨の降る中、杉田の墓に好きだった酒を供えて手を合わせた後、顕彰碑近くにソメイヨシノを植樹。杉田の兄の子で、「伝承する会」の杉田欣一会長は「会が発足するまで、命日の墓参りは家族でもしていなかった。本人も喜んでいるだろう」と述べた。

 顧問で顕彰碑の碑文を考案した石野正彦さん(元上越教育大教授)は「杉田は『守りの戦い』を続け、国内まで転戦してきた。その後日本は77年間、戦争のない日々が続いている。平和な時代が続くよう、われわれも努力していかねばならない」と語った。

 また長岡市の山本五十六記念館で12年間スタッフとして勤務した男性会員が、記念館について紹介。連合艦隊司令長官だった山本は43(同18)年4月18日、ブーゲンビル島(パプアニューギニア)上空で、米軍に搭乗機を撃墜され戦死。その時護衛に当たっていた一人が杉田だったこともあり、「伝承する会」では今後、記念館を訪問して見聞を広めることにしている。

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