衰えと伊能忠敬

 50代も後半に入ると物忘れが徐々にひどくなってくる。顔ははっきりと浮かぶけれど、その人の名前がどうしても出てこない。社内で受けるいろいろな業務連絡は、メモしておかないと片っ端から忘れてしまう▲話し始めると長くなる。若いころと比べ、しゃべるスピードがスローダウンしているだけでなく、くどくなりがち。体調も含め、衰えは無視できなくなってきた▲そんな日々なので伊能忠敬の偉業には励まされる。体は丈夫な方ではなかったという。江戸時代、55歳から全国の測量を始め、日本で初めて国土の正確な形を明らかにした。挑戦できることが自分にもまだあるかも、と思わせてくれる▲五島文化協会長を務めた故郡家真一さんは著書「海鳴りの五島史」で、伊能が五島の島々で測量を進めた際の労苦に触れている。五島を含めて肥前の国を測って回ったのは69歳ごろとある▲本隊と支隊に分かれて実測。そんな時、片腕だった40代の副隊長坂部貞兵衛が腸チフスにかかり、福江島で亡くなる。伊能は書状に、鳥が翼を落としたようなものだと落胆の心情を記した。それでも測量を続け、外海地方へと向かう。粘り強く、めげなかった▲人生100年時代。「衰えてきても気力たっぷりの人生は送れるもんだよ」。伊能の声が、聞こえるようでもある。(貴)

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