髙橋孫左衛門商店「粟の古代飴」 創業の味広めたい 地元産アワ使用 400年前の味復元

 江戸時代から約400年続く日本最古のあめ屋、髙橋孫左衛門商店(上越市南本町3)。同店の「粟飴(あわあめ)」は、皇室にも長く愛されている水飴だ。一方で、もう一つの水飴が存在する。その名も「粟の古代飴」。地元産アワを使い、創業当時の味を復元したものだ。そこには現当主の「先祖伝来の味を多くの人に知ってほしい」という、老舗の熱意が込められている。

地元産アワにこだわり、400年前の味を復元した「粟の古代飴」

 粟の古代飴は250グラム入りで3024円(税込み)。価格は粟飴の約3倍する。「知る人ぞ知る逸品」として、30年ほど前から販売している。

 口に含めば素材の持つ強いこく、穀物ならではの素朴な味わいが広がり、風味を残す。色は赤みがかった琥珀(こはく)色だ。

 同店の始まりは寛永元(1624)年。越前(福井)藩主、松平忠直の家臣だった初代孫左衛門が、忠直の子・光長の国替えに伴って高田の地に移り、創業したとされる。

 その名の通り、粟飴は創業当時、アワを原料に作られていた。寛政2(1790)年に4代目が原料をもち米に変え、日本で初めて、淡黄色透明の水飴を作った。その製法が現在まで続き、同店の飴の基となっている。

 復元のきっかけは約30年前、現社長の14代髙橋孫左衛門さん(77)が受けた客からの問い合わせだった。客は皮膚炎に悩み、効果があるとされる「アワ」の粟飴が欲しいという。しかし、原料にアワを使用していないと知った客は落胆し、髙橋社長は苦い思いをした。

 初代ゆかりの越前は飴作りが盛んな地で、かつては村ごとに飴を作って行商に出掛けていた。中でもアワを使った飴は、ある一つの村でしか作られていなかったことが、専門家の調査で分かっている。

 雑穀のアワは害虫に強く農薬を必要とせず、安全性が高い。食物の多面化を背景に雑穀の良さを見直し、創業当時の味をよみがえらせたい。髙橋社長は「アワで作る粟飴」の復元に乗り出した。

 妙高市桶海の生産者からアワを仕入れ、試行錯誤を重ねながら製造を続けてきた。しかしここ数年は作り手の高齢化や不作などでアワが手に入らず、製造できない時期が続いた。その間に顧客が亡くなるなど、歯がゆく、無念の思いを味わった。

 昨年は別の地元農家からアワを手に入れることができた。作り手は減る一方で、来年以降の製造がどうなるかは分からない。

 髙橋社長は「先祖が作ったものを再現できることは大きな喜び。地元産の原料が手に入る限り、作り続けたい。アワで作る粟飴はこんな味だよ、ということを、多くの人に知ってほしい」と願った。

赤みがかった色合いで、風味も味わいも濃厚

 看板商品の「翁(おきな)飴」は来年、創製から300年の節目を迎える。伝統を受け継ぐ老舗の挑戦は続く。

 問い合わせは同店(電025・524・1188)へ。

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