無我夢中で現金を盗む 「献上」できなければ集団リンチ 第2部 更生とは何か・3

恐怖に支配され無我夢中で現金を盗んだ。次第に自分のしていることが怖くなった(写真はイメージ)

 「仲間に入れてあげるから一緒に遊ぼう」。小学4年の時(1985年)に突然、大分県内で養護施設を転所させられ、右も左も分からない西川哲弥=仮名=に、施設の先輩2人が優しく声をかけてくれた。周辺を案内し、駄菓子屋で2回ほどキャラメルを買ってくれた。
 1週間ほどたったころ、一緒に買い物に行った。「頼みたいことがあるんやけど」「あそこにかごがあるだろ。あれ取ってきて」。店頭にぶら下がる釣り銭かごを指さす先輩らの指示に戸惑った。「新しい施設ではそんなこともあるのか? そんなことしていいのか?」。いろんな疑問が湧いたが、キャラメルをおごってもらったこともあり、断り切れずに従った。
 次第に「遊ぶからお金持ってきて」と指示の口調が強くなり、要求される金額も増えた。特殊学級(現・特別支援学級)に通っていたせいでなめられたのか。相手の言葉にうまく乗せられて施設の不良グループ7、8人のターゲットにされていた。
 ターゲットは他にも2人いた。いじめる側が見張り役になり、2人一組で窃盗の実行役をさせられる。釣り銭盗と車上荒らしをする班と、空き巣の班があり、西川は釣り銭盗と車上荒らしに振り分けられた。
 公園の小屋がグループのたまり場。休みの日は朝から盗みに出かけ、時間までに前回より大きい額を「献上」できなければ、集団リンチに遭い全身を殴られた。施設の職員は気付いていたかもしれないが、深く問いただされることはなかった。暴力の恐怖に支配され、無我夢中で現金を盗んだ。
 どんどん自分のしていることが怖くなった。放課後に遊びに行った同級生の家で「施設に帰りたくない」と駄々をこねたり、帰らずに道端の洞穴で夜を明かしたりした。施設に戻った時にグループに見つかると「こいつ、俺たちのこと避けちょんじゃないか」と、また殴られた。
 そんな中でも、大好きな野球は続けた。夜に1人で裏山に行き、施設に寄贈されたマシンを相手にバットを振った。
 初めて警察に補導されたのは小学5年、夜に徘徊(はいかい)していた時だった。その後も、施設に連れ戻されては逃げ出して野宿を繰り返した。夜に1人で歩いているところを何回も補導され、不良少年などを対象とする教護院(現・児童自立支援施設)に送られた。
(敬称略、連載4へ続く)

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