1993年にスタートし、来年で30周年を迎えるJリーグ。
リーグは来年30周年だが、オリジナル10と呼ばれる最初の参加10チームのなかにはその前年(92年)にクラブを創設し、今年で節目となる30周年を迎えるところも多い。
ここでは、そのオリジナル10が着用した1993年の初代Jリーグユニフォーム(ホームのみ)をご紹介したい。当時はMizuno(ミズノ)が一括でユニサプライヤーを担当していたため、全てMizuno製となる。
浦和
浦和レッドダイヤモンズ 1993-94 Mizuno ホーム
年間総合順位:10位(8勝28敗)
選手:福田正博
チーム名のダイヤモンド柄を大胆にデザインした初代キット。袖に付けるダイヤモンド型のエンブレムも懐かしいデザイン。
名古屋
名古屋グランパスエイト 1993-94 Mizuno ホーム
年間総合順位:9位(12勝24敗)
選手:ギャリー・リネカー
レッドは親会社であるトヨタ自動車の企業カラー。左胸にエンブレムは無く“グランパスくん”を付ける。リネカーの名はQoly的には“ギャリー”だが、当時は一般的に“ゲーリー・リネカー”と呼ばれていた。
市原
ジェフユナイテッド市原 1993-94 Mizuno ホーム
年間総合順位:8位(14勝22敗)
選手:ピエール・リトバルスキー
現在のチーム名はジェフユナイテッド市原・千葉。胸中央にはスポンサー「SEGA」、左胸にはチームエンブレムを付ける。キットカラーのイエローとグリーンは千葉県花の「菜の花」をモチーフとしている。
大阪
ガンバ大阪 1993-94 Mizuno ホーム
年間総合順位:7位(16勝20敗)
選手:フラビオ
親会社である松下電工(現Panasonic電工)の企業カラーであるブルーを基調としたデザインに、電気を連想させる稲妻を描く。エンブレムは無く、左胸には“ガンバボーイ”を付けていた。
横浜F
横浜フリューゲルス 1993-94 Mizuno ホーム
年間総合順位:6位(16勝20敗)
選手:大嶽直人
ゾーンプレスという言葉を思い出すフリューゲルスは、1999年に当時の横浜マリノスと合併する形で消滅。チームの母体やスポンサーでANA(全日空)と深くかかわっており、ホワイトとブルーのキットカラーは空のイメージだったという。レッドはかつて存在したもう一つのスポンサー「佐藤工業」の企業カラー。
広島
サンフレッチェ広島 1993-94 Mizuno ホーム
年間総合順位:5位(18勝18敗)
選手:ヤン・ヨンソン
パープル(バイオレット)に蛍光色のグリーンとオレンジが独特な組み合せ。このパープルは、広島市内におけるサッカー普及の原点とされる県立広島中学(現在の県立広島国泰寺高校)のスクールカラーがルーツだという。
横浜M
横浜マリノス 1993-94 Mizuno ホーム
年間総合順位:4位(21勝15敗)
選手:井原正巳
チームは現在の横浜F・マリノス。キットカラーは日産時代からのトリコロールを継承している。胸のV字は、船乗りの“セーラー服”のVネックとヴィクトリーのVを、“水しぶき”グラフィックで描く。
清水
清水エスパルス 1993-94 Mizuno ホーム
年間総合順位:3位(24勝12敗)
選手:長谷川健太
オレンジは静岡の名産品である「みかん」の色。代名詞ともいえる地球儀グラフィックは、ファッションデザイナー安部兼章氏が手掛けている。安部氏は遊び心からか、地図の“ある部分”に自らの名前を付けた架空の島「KENSHO」をひっそりと落とし込む。
鹿島
鹿島アントラーズ 1993-94 Mizuno ホーム
年間総合順位:2位(23勝13敗)※1stステージ優勝
選手:アルシンド
Jリーグ参加自体が奇跡と言われた鹿島。ユニフォームのレッドは茨城県花のバラを、ウェーブ状のブルーは県に面する海(鹿島灘)をイメージしたデザインだった。93年の1stステージを優勝したがチャンピオンシップで敗れて年間2位に。
川崎
ヴェルディ川崎 1993-94 Mizuno ホーム
年間総合順位:1位(28勝8敗)※2ndステージ優勝
選手:三浦知良
現在のチーム名は東京ヴェルディ。当時はサッカーで川崎といえばヴェルディのことを指していた。鮮やかなグリーンに絞り染め風のグラフィックは、初期のJリーグを象徴するデザインといえよう。胸の「Coca-Cola」ロゴと共に現在でも高い人気を誇る。