社会のルール分からず 働きたいのに門前払い 第2部 更生とは何か・4

都会の人混みにのみ込まれるような恐怖と焦燥感に襲われた(写真はイメージ)

 不良少年などを対象とする教護院(現・児童自立支援施設)に移り、西川哲弥=仮名=はリンチと盗みをやらされる恐怖から解放された。その後、大分県の高校を卒業し、ちょうちんをつくる会社に就職した。職場の人はよくしてくれた。
 20歳の時(1995年)、住んでいたグループホームの職員に「大事に持ってなさい」と福祉サービスが受けられる療育手帳を手渡された。間もなくグループホームで人間関係のトラブルに巻き込まれ、嫌になって祖父母の家に転がり込んだ。数日、仕事をせずゆっくり過ごした。その間、体が急に硬直して倒れてしまい、小さい頃から飲まされていた薬が、てんかんの薬だと知った。
 「自分なりにやりたいことがあると思うから、やってみろ」。高齢の祖父母の家にとどまるわけにいかず、2週間と期限を決めて仕事を探してみるよう現金10万円を渡された。
 都会に機会を求めて、列車で福岡市中心部のハローワークに向かった。「(車の運転)免許と資格がなくて、それは度が過ぎますよ」。月20万円ぐらいで土木関係の仕事をしたいと告げると、そんなことを言われた。当時は、てんかんで免許を取れなかった。さらに「あなた福祉にお世話になった人でしょう」とあしらわれた。
 パソコンの使い方も分からず、ポケベルも携帯電話も持っていない。ハローワークにコピーしてもらった求人情報を手に、公衆電話で何社かに電話をかけた。見知らぬ土地で交通機関も知らず、タクシーで面接に向かった。
 ずっと人に頼って生きてきた。社会のルールが分からず、普段通りにジャージー姿にリュックサックを背負って面接に行くと、「なめてんのか」と門前払いされた。働く意思と体力はあるのに、決まらないまま時間と金はなくなっていく。社会は甘くなかった。都会の高いビルと人混みにのみ込まれるような恐怖と焦燥感に襲われた。
 残金を4万円ほど残して大分県に帰った日、スーパーで養護施設時代の不良グループに鉢合わせした。「お前、今なんぼ持っちょん」。男子トイレに連行され、殴られた上に、仕事を探すための金をポケットからほとんど奪われた。
 働く場は祖父母がつないでくれた。福祉施設に泊まり込んで農業を体験する実習を2カ月ほどした。だが意見を聞かれないまま急に入所が決まり、腹が立ってその晩に施設を抜け出した。やけになり、やり方を知っていた空き巣に走った。
(敬称略、連載5へ続く)

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