南野拓実、リヴァプールでの出場数で上回ったスター11人

2020年1月にリヴァプールに加入した南野拓実。これまでプレーした試合数は54だ。

ここでは、リヴァプールでの出場数が54試合未満だった選手たちをあらためてまとめてみる。

マリオ・バロテッリ

28試合

2014年、稀代の悪童ストライカーはミランからリヴァプールに移籍してプレミアリーグに再降臨。だが、期待を裏切る結果に終わった。

本人はリヴァプールファンは素晴らしかったとしつつ、移籍自体は最大の失敗だったと後悔。一方、当時の同僚リッキー・ランバートは、練習での態度がなっていなかったとバロテッリを批判している。

ラザル・マルコヴィッチ

34試合

2014年にリヴァプールが2500万ユーロ(34億円)で獲得したセルビア代表ウィング。

背番号50を好む彼は爆発的なスピードを武器としていたが、チームにはフィットせず。わずか1年でローン放出されると、計4度のローンの末に契約満了で退団した。

「リヴァプールは自分に投資したし、僕の能力をもっと信じるべきだった」と恨み節も口にしているが、いまでもリヴァプールの試合はチェックしているそう。

クリスティアン・ベンテケ

42試合

2015年、当時クラブ史上2番目に高額となる3250万ポンド(62億円)の移籍金で加入したベルギー代表FW。

シーズン途中就任したユルゲン・クロップ監督のもとでは序列が下がり、わずか1年で退団することに。

その後、移籍したクリスタル・パレスでは深刻なゴール欠乏症に陥ることもあったが、「今のリヴァプールでも自分はやれる」と発言して話題になった。

ジョー・コール

42試合

幼少期から天才的なスキルで名を知られていた元イングランド代表MF。

チェルシーで活躍した後、リヴァプールにフリー移籍し、背番号10を託されたが、それほどインパクトは残せず。

後年、本人は何の愛着もなかったリヴァプールへの移籍は間違いだったと認めている。

ヤリ・リトマネン

43試合

クライフやベルカンプを差し置き、「アヤックス史上最高の10番」とも呼ばれるフィンランドの鬼才。

29歳の時にバルセロナから移籍したリヴァプールでは背番号37を着用。当時は空き番号が少なかったことから、ケヴィン・キーガンとケニー・ダルグリッシュが背負った7番を足した77番にしようとしたものの、あまりに大きすぎる番号のために断念。そこで足すと10になる37を選んだそう。

幼い頃からリヴァプール好きだったそうで、3度目のオファーでアンフィールド行きが実現した(1度目はアヤックス時代、2度目はバルサを選んだ)。

ラウール・メイレレス

44試合

モヒカンヘアや髭、全身に彫ったタトゥーなど個性的な風貌でも知られたポルトガル代表MF。

Box to BoxのMFとして非常に高い能力を備えており、当時のポルトガル代表のカルロス・ケイロス監督が「(ロナウドではなく)メイレレスがチームの中心。彼だけは欠かせない」と話していたほど。

リヴァプールではシーズン途中から覚醒してブレイクするも、実質1年でチェルシーに買い取られた。

クリス・カークランド

45試合

「将来のイングランド代表守護神」と期待されたGK。しかし、度重なる怪我に苦しまされた。

移籍したウィガンではクラブの年間MVPを受賞するなど活躍。ただ、怪我だけでなく鬱病にも苦しみ、自殺を避けるためにも引退したと明かしている。

リヴァプール時代の同僚であるスコット・カーソンによれば、カークランドは「本当にいいやつ」。

2005年のCLで優勝した際、カーソンは自分のメダルを譲ろうとしたものの、カークランドは「(決勝戦の)ベンチにいたのは君だ。君も自分の役割をプレーしたんだよ」とそれを断ったとか。

ブルーノ・シェルー

48試合

弟ベノワとの兄弟選手としても知られた元フランス代表MF。

同胞であるジェラール・ウリエ監督によって、リヴァプールに引き抜かれた。指揮官は「NEWジダン」と高く評価していたが、さすがにそこまでの活躍はできず。両脚を使える万能型のMFとして有用な選手ではあったが…。

英国では忘れられた選手扱いされているが、昨年にTwitterのトレンド入りしたことが話題に。

PSGの女子チームでSDを務めていることが話題になっていたようだが、現在はリヨンでチーフスカウトの職にある。

ロリス・カリウス

49試合

若くしてマンチェスター・シティに青田買いされたドイツ人GK。イケメンとしても知られる。

岡崎慎司ともプレーしたマインツでブンデス屈指の守護神として評価を高め、リヴァプールに移籍した。

だが、イングランドでは不安定さがぬぐえず、2018年のCL決勝での痛恨ミスにより、構想外に転落。

レンタルバックした今季はベンチ入りすら一度もなく、契約満了になる今夏でリヴァプールを退団する見込みだ。

ジョン・フラナガン

51試合

地元リヴァプール出身のアカデミー育ちとして期待されていた右サイドバック。

弱冠18歳でトップデビューを果たすと「Red Cafu」と呼ばれるなど評価を高め、本家カフーからも認知を受けた。

ただ、その後は怪我もあり、飛躍できず。29歳になった現在はデンマーク2部のケーゲに所属している。

ラグナル・クラヴァン

53試合

ブンデスリーガでも活躍したエストニア代表DF。

地味ながらいぶし銀を持ち味としており、2016年にアウクスブルクから加入すると、リヴァプールで2シーズンプレーした。

ユルゲン・クロップ監督からオファーを受けた際、友人のいたずらだと思ったそう。ちなみに、ヘラクレス時代は平山相太ともチームメイトだった。

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現在は母国エストニアのクラブで会長を務めているが、昨年はエストニアの別クラブでプレーしたことが話題に(両チームのカテゴリーは1部と2部に分かれていた)。

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