三島由紀夫と5・13討論した東大生とオカルト体験語るOBとの「断絶」1970年前後で歴史は変わった

日本の戦後史の中、5月13日は作家・三島由紀夫と東大全共闘の学生による伝説の討論会が行なわれた日だ。学生運動が隆盛となった1969年という「政治の季節」の一コマだが、三島の没後50年に全国公開されたドキュメンタリー映画「三島由紀夫VS東大全共闘」(2020年)によって、世代を超えて認知度が高まった。同作の豊島圭介監督も東大OBで、今春、東大出身者が体験した〝怖い話〟をまとめた書籍「東大怪談」(サイゾー)を世に出した。半世紀前の政治的な学生とオカルト体験を語る現在30-50代の人たちとの世代間ギャップを「東大と映画」というテーマと共に聞いた。(文中一部敬称略)

69年5月13日、東大駒場キャンパスの教養学部900番教室。単身で乗り込んだ三島に対する1000人以上の東大生たちのテンションは高く、討論の内容は「自然と肉体」「暴力の是非」「時間の連続と非連続」など多岐にわたった。その内容をまとめてベストセラーになった書籍は現在も「美と共同体と東大闘争」(角川文庫)で読むことができ、豊島監督の同作もソフト化されている。

三島と討論した学生の中には、赤ん坊を肩車し、たばこを吸いながら議論する、長髪にセーター姿の若者が異彩を放ったが、その人物は現在も演出家、俳優、劇団主宰者として活動する芥正彦。20年後、日本テレビ系のスペシャルドラマ「華麗なる追跡」(89年)で、遺作となった松田優作さんと共演した芥の姿も記憶に残っている。映画では、そうした東大生の69年と現在の姿が描かれる。

豊島監督は東大教養学部卒。71年生まれで、90年代前半に在学した。東大では政治ではなく、映画と出会った。映画評論家として後進に多大な影響を残した蓮實重彦氏の存在も大きい。「蓮實先生は僕の1、2年時は教授でゼミに出ました。僕の3年時に東大総長になりましたが、引き続き映画のゼミでも教わっていて、第2次世界大戦下のアメリカ映画をテーマにした卒論を審査してもらいました。ご本人はどこまで記憶してくれているかは分かりませんが、自分は蓮實門下生と言ってギリギリいいかな…みたいな感じはあります」という。

蓮實氏は東大に加えて、立教大でも「映画表現論」の授業を持ち、黒沢清氏、周防正行氏、今年3月に亡くなった青山真治さんらが門下生的な映画監督となる。東大OBで蓮實氏の影響を受けた監督の中には「ドライブ・マイ・カー」で国際的な評価を受けた濱口竜介氏もいる。

豊島氏は「蓮實先生に『三島由紀夫VS東大全共闘』のDVDを送ったんですけど、『三島由紀夫も東大全共闘も大嫌いですが、一応見ます』いう返事が来ました(笑)。三島とは(初等科から高等科まで)学習院の先輩後輩ですから、何か独特の思いみたいなものがあったと思う。蓮實先生が(16年に小説『伯爵夫人』で)三島由紀夫賞をもらった時に記者会見でも話題になりました(※「はた迷惑な話」などと発言)。先生は三島が嫌いだと言っていて、それで僕も全く三島を読まなかったのですが、映画を撮ることになった。もっとフラットな気持ちで三島を読んでおけばよかったと思ったりしました(笑)」と振り返る。

そうして撮影した映画を経て、半世紀前の東大生に思うことは?

「1970年前後で、日本の歴史に断絶があるんだなと思いますね。僕が大学に入った90年くらいは今と変わらない安穏とした雰囲気だった。80年代を経ていたので、69年や70年の空気は残っていなかった。学生運動で戦った人から見ると我々は生ぬるいと見るむきも分かると同時に、『俺は革命を目指していたんだ』と飲み屋でクダを巻く社会人がいたのも事実。そこに大きな断絶があった」

そこから「東大怪談」に話が及んだ。都市伝説、UFO、宇宙人、オカルト体験などを語った11人は、三島との討論会時には生まれていなかった30代、40代も多く、年長の50代もバブル景気の物質的な豊かさに浸っていた世代。政治や国家を論じるより、おおむね、個人の生活を充実させることに価値を見いだす時代を生きた。

「『東大怪談』でお話を聞いた人は学生運動以降の人ばかり。最年長だった60歳手前の人は80年代の『わたせせいぞう的でセゾンカルチャー的な青春』を送っていて、三島と討論した学生とは大きな断絶がある。自分たちの運動が国の命運を左右していると信じていた人たちの話は今回、聞いていないので、その時代の怪談を聞くのも面白いかもしれないですね。怒られそうですけど(笑)」

53年前の討論会に参加した学生たちは現在70代。「東大団塊世代怪談」なんて企画、当時の世相や時代背景も踏まえて、ちょっと気になる。

(デイリースポーツ/よろず~ニュース・北村 泰介)

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