世界で最も多くの成功を収めているクラブの一つであるバルセロナ。2008年にジョゼップ・グアルディオラ監督が就任してからは、「第二の黄金時代」とも呼ばれるシーズンを過ごした。
今回は『Planet Football』から「2008年以降のバルセロナで失敗してしまったスター選手13名」をご紹介する。
フィリペ・コウチーニョ
とても大きなプロフィールを持った選手だったが、それでも世界最高クラスの移籍金を支払うほどの存在であったのか。バルセロナはリヴァプールに1億2150万ポンドもの額を送り、そのかわりにコウチーニョを獲得した。
公平に言えば、彼はリヴァプールで本当に素晴らしかった。クロップの下で多くのチャンスを作り、多くのゴールを生んだ。しかしバルセロナの4-3-3ではプレーできる場所が難しく、ネイマールの後継者にも、イニエスタの後継者にもなり得なかった。
アントワーヌ・グリーズマン
21世紀のバルセロナが行った巨額の取引の一つである。2019年の夏にアトレティコ・マドリーからやってきた彼は、1億800万ポンドもの移籍金によって獲得された。
彼はセカンドストライカーとしてのプレーが得意であり、ウイングを使った3トップのシステムにはどうしても合わなかった。バルセロナでは2シーズンで22ゴールという成績で期待を裏切り、古巣アトレティコ・マドリーへと貸し出されていった。
アンドレ・ゴメス
レアル・マドリーと激しく戦っていた2016年、バルセロナは中盤を強化するためにポルトガル代表の若手MFアンドレ・ゴメスをバレンシアから獲得した。その時の価格は3500万ユーロであった。
さらに2000万ユーロのボーナスが加わるという大きな取引だったが、ゴメスはチームに馴染めず。メディアとファンの要求の厳しさ、批判の大きさに耐えられずにパフォーマンスを落とし、2年後にはエヴァートンへと貸し出され、そのまま放出されることに。
ズラタン・イブラヒモヴィッチ
公平に言えばバルセロナでの成績は悪いものではないが、彼のエゴイスティックな側面はジョゼップ・グアルディオラ監督と全く合わなかった。22ゴールを決めながらも1年で放出されるという異例の事態に。
イブラヒモヴィッチはこのあとミラン、PSG、マンチェスター・ユナイテッドなどで息長く活躍し、バルセロナもかわりに獲得したダビド・ビジャがフィット。どちらにとっても別れは正解だった。
アルダ・トゥラン
アトレティコ・マドリーで活躍していたトルコ代表のウインガー。リーガで十分に実績を持っていた選手であり、チャンピオンズリーグでも輝きを放っていた。
2015年に獲得されたあと、バルセロナの補強禁止処分で半年間出場できなかったことも不運だった。ルイス・エンリケ監督の信頼を得ることはなく、サブの立場に不満を抱えながらトルコへと戻っていった。
アレイシ・ビダル
セビージャにとっては素晴らしいビジネスの一つ。敏腕モンチGMが見出したサイドバックは、ダニ・アウヴェスの後継者候補として獲得されたものの、バルセロナで高いパフォーマンスを見せることはなかった。
中盤からコンバートされたセルジ・ロベルトにポジションを奪われ、その後セビージャへと復帰。今季はバルセロナのライバルであるエスパニョールに所属している。
アレクサンデル・フレブ
アーセナルで素晴らしいドリブルを見せつけたベラルーシ代表のアタッカー。2008年にジョゼップ・グアルディオラ監督が就任したバルセロナは、その最初のウインドウで彼を獲得した。
最初は悪くはなかったものの、スペインに移った彼は休息にパフォーマンスを落としてしまい、チームに絡めなくなっていく。3年もの間をローン移籍で過ごし、2012年には惜しまれることもなく退団していった。
マウロ・イカルディ
少年時代にアルゼンチンからスペインにやってきたストライカー。ベシンダリオというカナリア諸島のクラブの下部組織で500以上のゴールを積み重ね、15歳でバルセロナのアカデミーへと移った。
ただ当時のバルセロナは欧州最強のクラブ。前線には10代の彼が入れる余地はなく、サンプドリアに移籍してからブレイクを果たしている。現在はパリ・サンジェルマンに所属。
セスク・ファブレガス
バルセロナのユースに所属していた彼は、アーセン・ヴェンゲル監督の誘いで若くしてイングランドに渡った。アーセナルでは史上最年少でキャプテンを任されるなどキャリアの頂点を極めたが、2011年に夢のバルセロナ復帰を決断する。
その3年間では100試合以上に出場するなど失敗ではなかったが、中盤には定着することができず、ワントップでのプレーを余儀なくされることも。2014年にバルセロナを去り、チェルシーで再びプレミアリーグを戦うことを決断している。
アレックス・ソング
アーセナルでパトリック・ヴィエラの後継者候補として期待されたカメルーン代表MFは、1500万ポンドでバルセロナに加入して5年契約を締結した。
とはいえセルヒオ・ブスケツのブレイクと被ってしまったこともあってアンカーのポジションを手にできず、強い影響力を持つことはなかった。現在はジブチリーグのアルタ/ソーラー7というクラブでプレーしている。
ドミトロ・チグリンスキー
2010年にシャフタール・ドネツクから獲得されたウクライナ代表DF。後方からボールを繋ぐことができるセンターバックと評価されており、バルセロナが求めている選手のプロフィールに合致する…と言われた。
ただ結局はスタイルにフィットすることができず、怪我にも苦しめられ、1年でシャフタール・ドネツクに戻ることになった。
マルティン・カセレス
2008年にビジャレアルから加入したウルグアイ代表DF。その時には1650万ユーロというかなりの額が動いたが、怪我もあって4番手のセンターバックに留まった。
1年後にユヴェントスへローン移籍し、さらに次年度はセビージャへと貸し出されて完全移籍…したはずがまたユヴェントスに貸し出され、後に買い取られている。35歳になった現在はレバンテに所属しており、再びスペインでプレーしている。
アレン・ハリロヴィッチ
クロアチアの「新しいメッシ」として評価されたヤングスター。2014年にディナモ・ザグレブから獲得された時は17歳で、最初はBチームで1シーズンプレーしていた。
トップチームでは1試合のみプレーしたあと、2016年にハンブルガーSVへと移籍。2017-18年に貸し出されたラス・パルマスで好調なパフォーマンスを見せたが、それが評価されてフリー移籍したミランではまた低迷。スタンダール・リエージュ、ヘーレンフェーン、バーミンガム・シティを経て現在は英2部のレディングに所属している。