ノルディックスキー複合の全日本選手で活躍した曽根原郷さん(28、妙高市兼俣)が3月いっぱいで競技から退き、郷里の妙高高原へ戻ってきた。5月から一般社団法人妙高ツーリズムマネジメントに就職。18年間の競技生活での経験を胸に、妙高の観光の魅力発信という新たな道でスタートを切る。
妙高高原北小―妙高高原中―新井高と進み、ソチ五輪ジャンプ団体銅メダリストの清水礼留飛選手(28、雪印メグミルク)とは同学年で同じ飛躍・複合競技を続けた。高校を卒業後、明治大から社会人の東京美装(札幌市)へと進み、ユニバーシアードや世界ジュニア選手権で銅メダル、ワールドカップ12戦出場(最高17位)、全日本選手権最高2位、国体優勝と国内外で活躍した。今年3月の試合を最後に競技の一線を退いた。
「オリンピックを目指してやってきて、それがかなわず、次の目標を定めようとした時に、スキーではない、違う分野で頑張ろうと思った」と区切りを付けた。競技をやめ、地元へ戻ろうと考えた時に声を掛けてもらい、「生まれ育った妙高をPRし、スキーと違った形で地元に貢献したい」と同法人を志した。
現在は、市から委託を受けたふるさと納税のPRのため、先輩と一緒に市内の事業所回りをしている他、「艸原(そうげん)祭」の運営や高谷池ヒュッテへの荷揚げ作業などを手伝っている。
これまで試合や合宿で国内外のさまざまな土地を訪れており、「いろいろ見てきた経験を生かし、何事にもチャレンジしていきたい」と話す。「練習の時と違った視点で妙高のまちを見られる。自分の知らないところがあって、あらためていいまちだと思った。まずは自分が妙高の魅力を知り、自信を持って周りの人に伝えられるようになりたい」と決意する。
現在は仕事に慣れることが優先だが、ゆくゆくはジュニアの指導に携わる予定。「妙高から世界の舞台に出る選手を育てたい」と話している。