「6.3」から31年

 「いっしょうけんめい」のことを「一所懸命」とも書くのは、昔の武士が生活の拠り所であるたった一カ所の領地を、時に命懸けで守り抜いたことに由来する▲分かっている。自分の安全や命と引き換えに守らなければならない取材の持ち場などあり得ない。それでも「6.3」が来ると、この4文字を思い出す。43人の命が奪われた雲仙・普賢岳噴火災害の大火砕流惨事からきょうで31年▲専門家の警告を顧みずに、無謀な取材を続けたメディアが消防団員や警察官を危険な区域に引き戻してしまった。その意味で「6.3」が“人災”だったことを、私たち報道機関は決して忘れてはならない▲ただ、危険な取材スポットに残り続けた取材陣の思いを「ゆがんだ使命感」と短い言葉で切り捨てられることには、どうしても抵抗を感じてしまう。火山活動の「今」を可能な限り克明に伝えたい-と、きっと皆、ただ一生懸命だったのではないか、と▲「危険を顧みない」ことは今、勇気でも美談でもない。それでも考えずにはいられない。少しだけ、一歩だけ前に踏み込むことを最初から一切放棄してしまった報道は、信頼や説得力も失ってしまわないか▲簡単に答えの出ない問いだ。だから、迷う、悩む、考える。その積み重ねを怠らず、一歩ずつ前に進みたい。(智)

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