「 CLで優勝したことがない5人の最強バロンドーラー」

レアル・マドリーの優勝で幕を閉じた2021-22シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ。

守護神のティボー・クルトワがバロンドール候補になるかが話題になっている。

ここでは、バロンドールを受賞しながら、CL優勝は成し遂げられなかった選手たちを取り上げてみる。

ロナウド

1997年と2002年にバロンドールを受賞したブラジル代表FW。

相手DFが恐怖するほどの快足と無慈悲な決定力を併せ持つストライカーとして世界最強に君臨した。

2度のワールドカップ優勝を経験するなど数多のタイトルを手にしたが、CL優勝だけは成し遂げられず。

CLとコパ・リベルタドーレスで優勝できるなら、「小指2本を切り落としただろうね」と冗談交じりに語っている。

また、「僕は銀河系軍団のレアルでほぼ5年プレーしたけれど、CLは一度も優勝できなかった。勝つことは数学的なものではない。例え、チームに最高の選手が揃っていてもね、それは今のPSGにも当てはまる」とも話している。

マイケル・オーウェン

2001年にバロンドールを受賞したイングランド代表FW。

快速ストライカーとしてリヴァプールで若くしてデビューすると、1998年のワールドカップでは「ワンダーボーイ」として大暴れ。

2004年にレアル・マドリーへの移籍を決断するも、そのシーズンにリヴァプールがCLで優勝。結局、レアルも1年で退団しており、キャリアでビッグイヤーを掲げることはできなかった。

後年、「(2005年のCL決勝を)マドリッドのリビングで試合を見た。ウソを言うつもりはない。ものすごく複雑な気持ちだった。自分はリヴァプールを去った。リヴァプールが嫌いになったからではなく、手短な新しい経験とひとときの浮気のために。そして、(CL優勝は)自分が去ったときに起きた。『Oh My God』って感じだった。複雑な気持ちにならずにはいられなかった」と話している。

パヴェル・ネドヴェド

2003年にバロンドールを受賞したチェコ代表MF。

マンチェスター・ユナイテッドからのオファーも断り、セリエBに降格してもユヴェントスへの忠誠を誓い続けた漢。

2003年のCL決勝は出場停止で無念の欠場となり、チームもミランに敗れている。

現在はユーヴェの副会長を務めているが、クラブは1995–96シーズン以降欧州制覇を成し遂げていない。

ネドヴェドは「自分がクラブの一員である間にCLで優勝できれば素晴らしい。そうなれば、私も安眠できる」と話している。

ファビオ・カンナヴァーロ

2006年にバロンドールを受賞したイタリア代表DF。

170cm代の身長ながら圧倒的な身体能力とずば抜けた読みで世界最高の守備者に君臨した。

2006年にはワールドカップ優勝を成し遂げ、史上3人しかいないDFでのバロンドールを受賞(ちなみに、投票2位はジャンルイージ・ブッフォン、3位はティエリ・アンリだった)。

だが、ビッグイヤーには縁がなかった。「最大の目標はCL優勝」と宣言して加入したレアル・マドリーでは3年連続でラウンド16敗退(当時のレアルは6シーズン連続でラウンド16敗退)。

レアルを退団する際、「マドリーはCLのためのクラブだが、我々は正しいレベルになかった。マンチェスター・ユナイテッド、チェルシー、バルサと同じレベルにない」と述べていた。

ロベルト・バッジョ

1993年にバロンドールを受賞したイタリア代表FW。

世界最高峰のテクニックと創造性溢れるプレー、ポニーテールで見る者を魅了した「ファンタジスタ」。

1993年はFIFA最優秀選手賞とのダブル受賞を果たすなどサッカー界の頂点に君臨。ただ、翌年のワールドカップ決勝でPK失敗を味わうなど悲運のイメージも強い。

ユヴェントスからミランに移籍した1995-96シーズンにはユーヴェがCLで優勝。ユーヴェとミランでスクデットは獲得したが、ワールドカップとCLでは優勝に届かなかった。

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ただ、インテルを去る2000年にはCL出場権をかけたパルマとの決戦で2ゴールを決める英雄的活躍。CL出場権を置き土産にチームを去るという伝説を残した。

後年、バッジョは「モラッティ会長は私を無条件に愛してくれた。パルマ戦での2ゴールは私からインテルへの最後の贈り物だった」と振り返っている。

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