Jリーグを経由してブラジル代表入りした9名(2022年版)

現在ブラジル代表は来日しており、6日に日本代表とキリンチャレンジカップで対戦する。

ブラジルと日本のサッカー界は歴史的に非常に密接な関係にあり、Jリーグには有名無名を問わず数え切れないほどのブラジル人選手がやってきている。

そこで今回は、「Jリーグを経由してブラジル代表入りした9名」の選手を紹介したい。

アレックス・ムラーリャ

現所属:コリチーバ
J在籍:湘南ベルマーレ(2013)、アルビレックス新潟(2018)
代表:2016年(0試合0得点)

アレックス・ムラーリャは日本では「アレックス・サンターナ」の登録名で知られた。

湘南時代に「不思議な踊り」で大久保嘉人のPKを止めて話題を集めた彼だが、非常に特徴的な風貌も含め当時は“イロモノ”の印象が強かったかもしれない。

しかし母国復帰後に国内リーグで急成長。名門フラメンゴに引き抜かれるまで実力を上げ、2016年9月、26歳でセレソンに初招集されている。

フェリペ・ガブリエル

J在籍:鹿島アントラーズ(2010~2011)
代表:2012(0試合0得点)

2010年、Jリーグ史上初となる3連覇を達成した鹿島に加入したフェリペ・ガブリエル。

高いテクニックと献身的な働きを見せたが、それまで特に実績があったわけではない彼は「助っ人」としてやや物足りない面があった。チームは彼が加入した年に4連覇を逃すと、翌年も16試合の出場に留まり退団している。

しかし、日本で身に付けた献身的な働きを生かしてボタフォゴで活躍し、2012年にブラジル代表に招集された(出場はなし)。

ファビオ・サントス

現所属:コリンチャンス
J在籍:鹿島アントラーズ(2006)
代表:2012-2017(4試合0得点)

攻守のバランスに優れた左サイドバックのファビオ・サントス。名門サンパウロで10代にしてデビューし、2005年にはU-20代表としてワールドユースに出場した有望株だった。

鹿島への加入は武者修行を兼ねてのこと。当時はまだ本格化前でファンの記憶に残るようなプレーは見せられず退団後もやや伸び悩んでいた。

しかしコリンチャンスに所属していた2012年にコパ・リベルタドーレスを制覇しセレソン入り。当時コリンチャンスの指揮官は、現在ブラジル代表のチッチ監督だった。

なお、ファビオ・サントスは36歳になった現在も現役でプレーしている。

ボルジェス

サントス時代のネイマールとボルジェス

J在籍:ベガルタ仙台(2006)
代表:2011(1試合0得点)

地方クラブのパラナで活躍し「パラナのアドリアーノ」と称されたボルジェス。

ステップアップするかと思われた矢先、当時J2だったベガルタ仙台へと加入。持ち前のパワーとゴール前での優れた得点感覚で26ゴールを記録し、J2得点王に輝いた。

本人の希望により僅か1年で退団し、その後は国内のビッグクラブで活躍する。サントス時代の2011年にはネイマールとコンビを組んでゴールを量産し、ここでもリーグ得点王を勝ち取った。

同年ブラジル代表に初招集され、アルゼンチンとの「クラシコ」でデビューを果たしている。

フッキ

現所属:アトレチコ・ミネイロ
J在籍:川崎フロンターレ(2005~2008)、コンサドーレ札幌(2006)、東京ヴェルディ(2007)
代表:2009~(49試合11得点)

「J発のセレソン」といえば何といっても“超人”フッキだろう。

全くの無名だった2005年に川崎へ加入。ここでは本領を発揮できなかったものの翌年、貸し出されたJ2の札幌で25ゴールと大暴れ。その翌年には東京ヴェルディで現在でもJ2レコードとなっている37ゴールを叩き出し、チームをJ1昇格に導いた。

2008年に判定を巡って審判とのトラブルを起こし、これがきっかけとなり退団したが、移籍先のポルトで爆発しセレソンに選出された。

以降、2014年ワールドカップやロンドン五輪に出場するなどブラジルサッカー界を代表する選手へと成長している。

チアゴ・ネーヴィス

チアゴ・ネーヴィス(中央左)とロナウジーニョ(中央右)

J在籍:ベガルタ仙台(2006)
代表:2008~2012(8試合0得点)

2006年の仙台にはボルジェス、ロペス、チアゴ・ネーヴィスと、J2とは思えないほど強力なブラジル人が在籍した。

チアゴ・ネーヴィスはもしかするとそのなかで最も地味な存在だったが、柔らかいボールタッチと左利きらしい独特の間合いは出色していた。

その能力が発揮されたのは国内復帰した翌年のこと。名門フルミネンセでブラジル全国選手権の最優秀選手に輝くと、2008年にドゥンガ監督のブラジル代表に初招集された。

同年には北京五輪のメンバーにも選出され、銅メダルを獲得。2012年には日本代表との親善試合に出場し、大きく成長した姿を見せている。

ティンガ

J在籍:川崎フロンターレ(1999)
代表:2001~2007(4試合0得点)

現地の発音で「チンガ」としても知られる彼は、川崎に加入した当時はFWだった。

ツゥットらとコンビを組み、Jリーグ初年度だったクラブをいきなりJ1昇格に導いている。その後、中盤にコンバートされて大成し、2001年にブラジル代表入りした。

2006~2010年にはボルシア・ドルトムンドでも活躍し、ユルゲン・クロップ監督のもとでもプレーしている。

ジャウミーニャ

J在籍:清水エスパルス(1994)
代表:1996~2002(14試合5得点)

ブラジルサッカー界のレジェンドであるリベリーノが清水の指揮官に就任し、その際に呼び寄せたのが同じ左利きの天才ジャウミーニャだった。

リベリーノは成績不振により僅か半年で辞任。ジャウミーニャもさしたるインパクトを残せぬまま退団することになった。

ただ日本に来る前から国内で高い評価を得ていたジャウミーニャは、帰国後の活躍によって1996年にセレソン入りを果たした。

彼はその後、スペインでデポルティーボ・ラ・コルーニャを優勝に導くなど世界的な名声を得ている。

マルシオ・アモローゾ

ドルトムント時代のコラー(左)、ロシツキー(中央)、アモローゾ(右)

J在籍:ヴェルディ川崎(1992~1993)
代表:1995~2003(20試合9得点)

ヴェルディに在籍した当時はまだ10代だったアモローゾ。

サテライトリーグで得点を量産し高い評価を得ていたが、年齢や外国人枠の問題もあり、一度も出場機会を得ることなく退団となった。

しかし帰国直後の全国選手権で得点王に輝くと、1995年にブラジル代表にピックアップ。その後イタリア・セリエA、ドイツ・ブンデスリーガで得点王を獲得する世界的ストライカーとなった。

【関連記事】ブラジル代表、史上最高の「イケメン」は誰?10人を選んでみた

なお、2006年にはヴェルディのライバルであるFC東京と仮契約を結んだものの、これを破棄してミランへ移籍したことが伝えられている。

© 株式会社ファッションニュース通信社