今“アツい ” 対馬・金田城跡 世界的ヒットゲームや続日本100名城で注目【ルポ】

城山の山頂から北西の朝鮮半島方面を望む景色。リアス海岸の浅茅湾がくっきりと見えた=対馬市美津島町、金田城跡

 長崎県対馬市美津島町にある飛鳥時代の山城「金田城跡(かねだじょうあと)」=国指定特別史跡=に国内外から熱い視線が集まっている。「続日本100名城」に選ばれ、世界的にヒットしたゲームソフト「ゴースト・オブ・ツシマ」などが呼び水になっているためだ。古くは防人(さきもり)が守りを固めたことで知られ、「国境の島」の歴史を学ぶにはうってつけ。今“アツい”金田城跡にどんな魅力があるのか。現地を訪ねた。

 5月中旬、地元の登山愛好家らが企画した山登りツアーに参加した。郷土史家の小松津代志さん(74)を引率役に、10人ほどのグループで登山口を出発した。
 金田城は667年、大和朝廷が島中部の城山(標高276メートル)に築いた朝鮮式の山城。朝鮮海峡が見渡せ、他国からの侵入を防ぐため東国から集められた防人たちが常駐した。日露戦争前には旧日本陸軍が砲台を設け、近代でも重要な軍事拠点の役割を果たした。
 登山道をしばらく進むと周囲の岩肌に細い溝を見つけた。小松さんによると、陸軍が火薬を詰めて爆破して開削した跡だという。軍道として整備されたため、歩きやすい。山にはヤマボウシやマツ、ダンギクなど四季折々の植物。国天然記念物ツシマヤマネコの目撃例もあり、対馬ならではの自然が楽しめる。

城山を囲むように築かれた石塁

 20分ほど歩くと、石垣のようなものが見えてきた。岩を積み重ねた石のとりで「石塁(せきるい)」だ。城山の中腹を囲うように築かれている。総延長約2.2キロ。重厚さに圧倒された。石塁を築いた人たちの苦労は想像を絶する。小松さんは「この技術は現代にも通ずるものがある」。防人たちは石塁の上から弓矢や投石などで警備を固めていたという。

 金田城は2017年に日本城郭協会の「続日本100名城」に選ばれ、蒙古襲来(文永の役)を題材にしたアクションゲーム「ゴースト・オブ・ツシマ」にも登場。市は城のジオラマを制作し、登山口付近にトイレカーを整備するなど観光客誘致に力を入れている。海上から金田城を眺めるシーカヤックも人気だ。
 何かと注目される金田城だが、登山口付近の駐車スペースは数台ほどだった。そこに至る道路も狭く、アクセスには少々難がある。国指定特別史跡は地面を掘り起こすなどの工事が原則できないため、拡充は難しく、行政は頭を悩ませているという。

 城山は登山スポットが多い対馬の中でも登りやすいが、今回は史跡を巡るため遠回りをした。勾配が険しい道を通ったため、参加者は皆、木々につかまりながらはうように登った。山頂付近には旧日本陸軍が設置した砲台や井戸などの跡が生々しく残っている。弾薬庫跡にはコウモリが潜み、不気味な印象を受けた。

城山の山頂付近に残る砲台跡

 山頂まで通常1時間弱のところ、3時間弱でようやく到着。リアス海岸の浅茅(あそう)湾が望め、山々の緑と海の青とのコントラストが美しい。気象条件が良ければ朝鮮半島も見えるという。
 ふと、千年以上前の防人たちに思いをはせた。任期は3年だったとされる。小松さんは「九州から海を渡るのも命懸けの時代。家族と離れ、辺境の地で暮らすのは寂しかっただろう」とおもんぱかる。この眺めは今も昔も変わらないはず。もしかすると防人たちの心を癒やしていたのは、この美しい対馬の風景だったのかもしれない。


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