復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉6月8日「久米島虐殺事件、見舞金で処理」―琉球新報アーカイブから―

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。
 

 日本「復帰」直後の1972年6月8日の琉球新報1面は、沖縄県知事選関連で「自民、勝算に自身を強める/革新、南部でも有利に展開/知事選 両陣営の攻防本格化」との見出しで、中盤戦にさしかかろうとする沖縄県知事選の選挙戦を紹介している。「すでに那覇、南部地域は自民、革新ともフル回転で選挙戦を展開中だが、北部、先島、中部では両陣営とも動きがにぶく、いま一つ盛り上がりに欠けているといわれる」と伝え、両陣営がこれから相手陣営の切り崩しにかかる構えであることを伝えている。
 選挙のこぼれ話を伝える「選挙レーダー」は「両候補、たつ巻き被災地見舞う」との見出しで、糸満市米須の竜巻被害で被災地見舞いに出る両陣営の様子を紹介している。
 沖縄戦中に久米島で住民が日本軍に虐殺された事件をめぐり「見舞い金で処理/久米島虐殺事件/賠償法適用は不可能」と政府方針を伝えている。記事では「山中開発庁長官は、これまで国会でも久米島事件など旧日本軍による被害者に対しては『国家賠償法などを適用して補償したい」と答弁、遺族らへの補償は沖縄開発庁が中心となって検討を急いでいる。ところが、国家賠償法はすでに時効になっており、同法の適用による救済は事実上不可能だとわかった」とまめている。
 
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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。  

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