写真フィルムで圧倒的なシェアを誇ったアメリカの企業イーストマン・コダックがデジタルカメラの普及に押され経営破綻してから10年が経過した。しかし、1975年に世界初のデジカメを開発したのもコダックだった。発明したのは当時入社間もない若手技術者だったスティーブ・サッソンさん(71)。このほどインタビューに応じ「前代未聞の試みだった。社内からの反発は想像以上だった」と当時を振り返った。(共同通信=隈本友祐)
▽「テレビに映った写真を見たい人いない」
サッソンさんは73年にコダックに入社。すぐに上司から画像を電気信号に変換する電荷結合素子(CCD)の研究を提案された。未知の分野だったが、1年ほどでCCDを使った画像のデジタル記録に成功し、世界初の「デジタルカメラ」が誕生した。
フロッピーディスクも普及していない時代で、記録媒体として使ったのはカセットテープだ。トースターほどの大きさの箱にレンズや記録媒体など全ての装置を入れて持ち運べるようにし「電子スチルカメラ」と名付けた。74年12月に同僚のスナップ写真を撮影し、テレビに頭と肩が映った瞬間を覚えているという。
当時、サッソンさんの独創的な取り組みは社内で「誰も注目していなかった」という。上司に進捗状況を説明するのは2週間に1回だけ。「説明しても『いいね』と言われるだけだった」と笑う。予算もなく、試作品の材料のほぼすべてを社内の備品で賄った。
ただ、試作機の社内プレゼンが始まると、予期していなかった厳しい反応が寄せられた。「技術者はどうやってこれを開発したのか知りたがったが、マーケティング担当者はなぜデジタル写真が必要なのかばかり聞いてきた」という。「テレビに映った写真を見たい人などいないと多くの人が思っていた」と当時の雰囲気を説明した。
▽「経営陣は未来をためらった」
コダックのビジネスモデルは写真フィルムに依存していた。フィルムを販売し、販売店が撮影済みのフィルムを現像し、プリントして写真を顧客に渡すというサイクルが完成されており、デジカメはそれを破壊するものだった。「経営陣はビジネスの構造全体が大きく変わってしまうことに気付いており、未来に飛び込むことをためらっていた」。
コダックが写真フィルムとその画質に誇りをもっていたことも足かせとなった。開発当初の粗い画像のデジタル写真は受け入れられず、「社内には乗り越えなければならない文化的な壁がたくさんあった。コダックはフィルムと画質へのこだわりから離れることができなかった」と話す。サッソンさんは発明について公の場で発言することを禁じられた。
ただ、コダックはひそかにデジタル写真技術への投資を続け、94年には米アップルと共同開発した「クイックテイク100」が発売され、話題となった。「公表はしていなかったが、かなりの投資をしていた」と明かす。しかし、その後も会社の重心をデジタルに移す思い切った経営判断はできず、赤字が拡大して2012年1月に連邦破産法11条(日本の民事再生法に相当)の申請に追い込まれた。
▽「写真は何げない会話」
コダックが破綻を免れる道を選択できる可能性があったかどうかについては「並外れたリーダーシップが必要だっただろうし、投資家が許さなかったかもしれない」と語る。90年代後半まで写真フィルムの販売は好調だった。「デジカメを売ることはビジネスの共食いになる。取り得た選択肢は少なかったと思う」
アメリカでは写真撮影の決定的瞬間を「コダック・モーメント」と呼んだ。ただ、フィルムカメラからデジカメに置き換わる過程で写真の位置付けが変わった。「すぐに見られたり、共有できたりすることが重要になった。消費者の価値が変わったことがコダックと写真にとって大きな変化だった」と話す。コダック・モーメントも過去のものとなった。
スマートフォンの普及と写真共有アプリの隆盛で1人が1年間に撮影する写真の枚数は過去最高に達している。「写真はもはや出来事を記録するものではなく、何げない会話のようなものだ。人々は人生を共有するために写真を撮る。テクノロジーがそれを可能にした」とスマホの礎となった自身の発明を誇った。
サッソンさんはデジカメ発明の功績が認められ、09年に当時のオバマ大統領から技術分野では米国で最高の栄誉とされる「アメリカ国家技術賞」を授与された。現在は発明家の心得とコダックの教訓を若い起業家や技術者に伝えている。