復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉6月24日「県知事・県議選あす投票」―琉球新報アーカイブから―

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。
 

 日本「復帰」直後の1972年6月24日の琉球新報1面トップは、「県知事・県議選あす投票/大詰めの攻防展開/情勢、きわめて流動的」との見出しで、大田政作候補と屋良朝苗候補の知事選の最終盤の攻防を伝えている。「『慰霊の日』の23日は両陣営とも那覇、中部の激戦地で最大動員を図り、早朝からビラの配布や知人、友人をたずねるなど攻防にシノギを削った」と記している。
 この日の「選挙レーダー」は「〝選挙騒音〟で英霊も落ち着かぬ?」との見出しで、慰霊の日の選挙運動のあり方に触れている。「戦争をにくみ、戦没者の霊を慰める日に一大決戦がかち合ったのも、皮肉といえば皮肉。しかし『平和と繁栄を目ざす戦いだ』とばかり両陣営とも総決起して戦いにいどみ、激烈をきわめた1日となった。炎天下を宣伝カーががなりたて、ただでさえ暑苦しく『このありさまでは、地下の英霊も落ち着かないだろう』と冗談口もちらほら」と記している。
 
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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。  

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