4月に静岡県磐田市の住宅街でみつかった不発弾。6月26日、ようやくその処理が行われました。日本の大動脈・国道1号を通行止めにしてまで行ったのは、77年前の負の記憶を心に刻むことでした。
普段なら静かなはずの日曜日の住宅街が朝から物々しい雰囲気となりました。
<消防隊員>
「すみません、だれかいらっしゃいますか」
消防隊員が一軒一軒回って、避難漏れがないか確認して回ります。この地域で見つかった不発弾を処理するためです。
4月12日、磐田市小立野で行われたガス管工事の最中、見つかった500ポンド不発弾。77年前、児童など29人が犠牲となった米軍による空襲で落とされた可能性が高いということです。
<磐田市 草地博昭市長>
「戦後77年が経つのにまだこのようなことが起きて悲しい思いでいっぱい」
今回見つかった場所は、そばに国道1号などが通るエリア。周辺の道路を最大9時間通行止めにして大がかりな作業を行います。
<清水英之記者>
「午前8時、交通規制が始まりました」
普段はこの時間多くの交通量がありますが、事前に周知されていたことから大きなトラブルはみられません。
<磐田市 草地博昭市長>
「8時46分より不発弾の処理を開始してください、安全に処理をお願いします」
<陸上自衛隊>
「不発弾処理開始します」
近くには避難所が設置され、およそ50人の住民が身を寄せました。
<避難した人>
「ちょっとドキドキしていますよ」
「急ぎすぎて事故があってはいけないので、適切に対応していただければ」
陸上自衛隊による処理は、開始から30分ほどで信管2本が取り外され、磐田市は安全化宣言を出しました。交通規制もおよそ1時間半で解除されました。
<磐田市 草地博昭市長>
「きょうとにかく安全に、安全化宣言ができたことにほっとしている。戦争は我々が生きている間にすべて決着することではなくて、子孫、後世に遺恨を残すものだと感じた、改めて戦争は起こしてはいけないものだと痛切に感じている」
不発弾という負の遺産は陸上自衛隊の施設で保管したあと、処分されるということです。