世界的バンドの名ギタリスト、80歳で死去 1989年に脱退後はソロ活動

ナザレスのオリジナルギタリスト、マニー・チャールトンが死去した。80歳だった。

1968年にスコットランドのダンファームリンでマニー、ダン・マッカファーティー、ダレル・スウィート、ピート・アグニューにより結成された同バンド、ピートがクラシック・ロックにマニーの死を認め、「マニーは参加した当初、自分たちで曲を作ろうと提案した初めての人物だった。それまで私たちはそんなことを一度も考えたことがなかった。人力のジュークボックスとして私たちは雇われていたから。その後突然、(レッド)ツェッペリン、(ディープ)パープル、スプーキー・トゥースらが台頭してきてあらゆる可能性が花開くこととなった」と話した。

1975年のアルバム『人食い犬(ヘアー・オブ・ザ・ドッグ)』のタイトル曲やバラード曲『ラヴ・ハーツ』のカバーなどで人気を博した同バンド、『ヘアー・オブ・ザ・ドッグ』はガンズ・アンド・ローゼズが1993年の『ザ・スパゲッティ・インシデント?』でカバー、終盤でザ・ビートルズの『デイ・トリッパー』のリフを入れる遊びを見せていた。

ちなみにマニーはガンズ・アンド・ローゼズの1987年のデビューアルバム『アペタイト・フォー・ディストラクション』の制作を手伝っていたことでも知られている。マニーがプロデュースした曲の数々は同作の最終版に収録されることはなかったものの、その後リリースされたデラックス・リイシュー盤で聴くことができる。

そんな同バンドとの制作についてマニーは以前こう回想していた。「彼らはロックンロールの夢を見て最高の時を送っている若い青年の集まりでしかなかった。彼らがロックの歴史上最大のバンドの一つになるなんて私は夢にも思わなかったよ」

そんなマニーは1989年のアルバム『スネイクン・ラダーズ』のツアー後ナザレスを脱退、1999年にソロデューアルバム『ドルール』を発表、最後の作品は2016年の『ソロ』となった。また昨年には80歳の誕生日を記念してナザレスの1976年の曲『テレグラム』を再レコーディングしてもいた。

(BANG Media International/よろず~ニュース)

© 株式会社神戸新聞社