「国立公園の父」らの業績紹介 岡山で連続シンポ

瀬戸内海の魅力を訴え、国立公園指定に尽力した小西和、田村剛の業績を紹介するシンポジウム

 瀬戸内海の世界的な価値を見いだし、国内最初の国立公園指定に尽力した小西和(かなう)(1873~1947年)=さぬき市出身、「国立公園の父」と呼ばれた田村剛(1890~1979年)=倉敷市出身=を紹介する連続シンポジウム「輝ける讃岐人」が10日、RSKイノベイティブ・メディアセンターの能楽堂ホール(岡山市北区天神町)で開かれた。

 国立公園の歴史を研究する、関西学院大総合政策学部教授の佐山浩さんと奈良県立大地域創造学部教授の水谷知生さんが講演した。

 小西は1911年、多くの島々で構成される瀬戸内海の風景を「世界の公園として、世界の人々を引きつけ得る」などと論じた「瀬戸内海論」を発表。翌12年には衆院議員となり、瀬戸内海の国立公園化を訴え続けた。佐山さんはその生涯を振り返り、「小西にとって瀬戸内海の国立公園指定は政治家としての責務であり人生の夢だった」と話した。

 田村は20年に内務省嘱託となり、国立公園の選定や制度づくりに中心的な役割を果たした。水谷さんは34年に瀬戸内海が国立公園に指定されるまでの経緯を説明。当初は香川県の屋島と小豆島を中心とする案だったが、田村が倉敷の鷲羽山を中心に岡山、広島、香川の3県の海域にまたがる広域公園の具体案を提示し実現。水谷さんは「田村がいなかったら瀬戸内海国立公園はなかった」と述べた。

 シンポジウムは、山陽放送学術文化・スポーツ振興財団が12月まで岡山市と高松市で毎月交互に開催。今回の講演の模様は13日午後6時ごろから20日午後6時まで、動画投稿サイト・ユーチューブで無料配信する。同財団ホームページから視聴できる。

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