「銃声が耳にこびりついて消えない」安倍元首相襲撃の一部始終 参院選担当記者の眼前で起きたこと 4日たって実感、涙止まらず

奈良市で街頭演説する安倍晋三元首相=8日午前

 曇りがかった夏空の下、一人の大物政治家が演説を始めた。穏やかな表情で聴衆に語りかけるのは、憲政史上、最も長く政権を担った安倍晋三元首相(67)。目の前で取材をしていた私は、この演説がつつがなく終わることを当たり前のように待っていた。誰も想像し得ない、衝撃的な事件に遭遇するとは思いもしなかった。(共同通信=酒井由人)

 ▽自民候補劣勢伝えられ、予定を変更

 7月8日、幼い長男を自宅近くの保育園に預けた私は、午前10時過ぎに奈良市の大和西大寺駅に着き、野党が擁立した新人候補の街頭活動の取材をしていた。
 今年の参院選は例年になく暑かった。選挙戦も最終盤となり、連日の厳しい日差しに体力を奪われていた。私は街頭取材もそこそこに休憩を取るため近くの商業施設に入り、取材先の選挙関係者に電話をかけ、雑談を始めた。
 施設の中では、警察官とみられるスーツ姿の男性らが目の前をせわしなく行き交い、物々しい雰囲気になっていた。外に目をやると、10人ほどのガードマンが入念に打ち合わせを重ねている。陣営スタッフも慌ただしく走り回っていた。電話口の相手にその状況を伝えると、「やっぱり安倍さん入るねんから、警備もすごいわな」と感心していた。

安倍元首相が銃撃された奈良市の近鉄大和西大寺駅前=8日午前11時半ごろ(ツイッターから)

 その4日前に一部メディアが報じた参院選奈良選挙区の情勢は、各陣営にとって予想外の内容だった。当初、優勢だと思われていた自民党現職の佐藤啓氏が、他党の候補を追いかける立場になっていたからだ。佐藤陣営は緊急会議を開き、立て直しを図ることになる。そこで持ち上がったのが安倍元首相の応援演説だった。
 関係者の話を総合すると、安倍氏は元々、8日は別の選挙区の応援に入る予定だった。だが、その選挙区では直前になって自民候補のスキャンダルが取りざたされたため、安倍氏の応援演説もキャンセルに。その代わり、8日午後は激戦が見込まれる京都選挙区に入ることになった。京都市の遊説前にどこか近くの選挙区に立ち寄ろうと急きょ設定されたのが、情勢が傾きつつあると報じられた佐藤陣営での応援演説だった。「安倍先生が入ることになりましたよ」。前日の7日に電話をくれた秘書の声は、心なしか弾んでいるように聞こえた。
 8日午前11時10分ごろ、野党候補と入れ替わる形で佐藤陣営の演説が始まった。屋内でひとしきり涼んだ私は、歩道に設けられたメディア用の取材エリアに移動した。担いでいたリュックを降ろし、ガードレールで囲われた演説台に目を向ける。数百人の聴衆を前に地元首長や国会議員、県議が順番にマイクを握り、佐藤氏への支援を訴えていた。
 

奈良市で街頭演説する安倍元首相。右奥は山上徹也容疑者=8日午前

 開始から10分後、ガードレールのすぐ脇に1台の車が滑り込んできた。中から安倍氏が降り立つと、聴衆は一気に沸いた。その姿を一目見ようと、さらに大きな人だかりができる。私も急いでボイスレコーダーを取り出した。候補者である佐藤氏の演説が終わり、安倍氏にマイクが渡った。
 「佐藤さんは総務省出身。でもただの官僚ではありません。スーパー官僚だったんです。霞が関も注目した。私も当時、総理大臣として彼に注目したんです」。急な応援にもかかわらず、入念に準備したかのようになめらかに語り出す。新型コロナウイルスの感染拡大を巡り、国に財政支援を働きかけてきたエピソードを披露し「彼は、できない理由を考えるのではなく―」。候補者の実績を持ち上げようとした、その時だった。
 「ドーン!」。突然、花火を打ち上げたような大きな音が一帯に響き渡った。数秒の間を置いて、また「ドーン!」。破裂音が他の全ての音をかき消した。

 ▽震える手、デスクに「全員、ここに来てくれと言って」

 「えー!」「何が起きたの?」。聴衆のどよめきに、立ち込める白煙。演説会場全体が騒然とする中で、私もとっさに何が起きたか分からなかった。

 すぐ目の前で、安倍氏の周囲にいた警護の警察官らが、数メートル先にいた男に一斉に飛びかかった。男は逃げるそぶりも見せず、その場で取り押さえられた。しばらくそのやりとりに気を取られていたが、ふとガードレールの向こう側に目をやると、15メートルほど先にいた安倍氏が力なく崩れ落ちた。その表情は苦痛に顔をゆがめるでもなく、何か言葉を口にするでもなく、多くの聴衆を見つめたままの穏やかな様子だった。

現場付近で取り押さえられる山上徹也容疑者=8日午前11時38分ごろ

 安倍氏が倒れたのを目の当たりにし、ようやく何が起きたのか分かった。視界の隅に入っていた数秒前の場面を思い起こす。安倍氏が演説を始めてからまもなく、背後の車道に、どこからともなく男が現れた。白いマスクを着け、ショルダーバッグを提げていた。「車道を歩くなんて危ないな」。そう思っていると、安倍氏から数メートルのところで歩みを止め、無言で黒い物体を体の前に掲げた。今思えば、あれが銃だったのか。ごう音が響いたのはその直後。この男が安倍氏を撃ったのだ。
 私はすぐさま、首に提げていたデジカメのスイッチを入れた。電源が入ったカメラのモニターには「カードがありません」の文字。撮影用のメモリーカードをパソコンに差しっぱなしにしていた。慌ててカードをパソコンから取り出すと、デジカメに入れ直し、無我夢中で撮影を始めた。
 男は4人の警察官に抱きかかえられ、聴衆の少ないバスロータリーに連れて行かれた。よく見える位置に行こうと必死に身を乗り出したが、別の警察官に制止されたため、切り返して演説台の方に向かった。

街頭演説中に銃撃され、路上に倒れた安倍元首相(中央)=8日午前11時32分ごろ

 安倍氏は台の脇で陣営スタッフらに囲まれ、あおむけに倒れていた。「看護師の方はいませんかー。お医者様はいませんかー」。何人ものスタッフが大きな声を張り上げ、助けを求めた。白いワイシャツの左胸は真っ赤に染まり、スタッフが体を揺すっても、目をつむったまま反応がない。容体がかなり厳しいことは、はた目にも明らかだった。デジカメを持つ右手が震えた。
 リュックを置いていた位置まで戻り、普段原稿のやりとりをする大阪支社社会部に電話をかけた。「奈良市の大和西大寺駅で、11時半頃、大きな音がして、安倍総理が演説中に後ろから撃たれました。全員、ここに来てくれって言ってください」。丁寧に説明しているつもりなのに、電話越しのデスクの反応は鈍い。なんで伝わらないのか。いらだちが募った。隣で電話をかけていた新聞社の先輩記者は「安倍さんが撃たれたんですよ。何やってるんですか!」と怒鳴り散らしていた。

 ▽事実の重み実感、耳から離れない銃声音

安倍元首相が銃撃された現場付近で、安倍元首相を救急車に運ぶ救急隊員ら=8日午前11時40分ごろ

 デスクへの報告を終えると、再び現場に戻った。発生から10分後に救急車が到着。現場はブルーシートで囲われ、ストレッチャーに載せられた安倍氏は車内へ運び込まれた。その様子を記録しようとする私の前に、前日に電話で話した秘書が立ちはだかった。いつもは温和な秘書が血相を変えてこう言った。「ここは写真を撮るところではないでしょう。気持ちを考えて」。厳しい言葉が胸に刺さった。
 「総理頑張れ!総理頑張れ!」。祈りにも近い思いを繰り返し叫ぶ人、身を寄せ合う看護師ら。多くの人に見送られ、安倍氏を乗せた救急車は到着から4分後に現場を後にした。
 きびすを返して再びバスロータリーに向かうと、安倍氏を銃撃した男は腕や脚を地面に押さえ付けられ、あおむけの状態でいた。しきりにまばたきをしながら、捜査員らしき男性との間で淡々とやりとりを交わしていた。空を見つめる表情からは、怒りや興奮といった感情は見て取れない。奈良県警はその約1時間後、男の名前を山上徹也容疑者(41)と発表した。
 私はその後も現場周辺にとどまり、見たもの、聞いたものをデスクに伝え続けた。午後6時前、近くの路上で見つけたベンチに座って原稿を書いていた時、取材班のオンラインチャットで「死亡」の2文字を見た。「ああ、やっぱりだめやったか」。しばし作業の手を止めた。天を仰ぐと分厚い雲が一面に垂れ込めていた。

安倍元首相が街頭演説中に銃撃され、騒然とする現場付近=8日午前11時42分、奈良市

 翌日、事件取材を別の記者に引き継ぎ、私は参院選の情勢取材を再開した。投開票日は次の日に迫っていた。開票所の下見や政党関係者への取材、「当選確実」を出す手順の確認などやるべきことは山積していた。ただ、手が空いた時や移動の車中ではニュースばかり聴いていた。事件の続報が気になり、選挙取材にはあまり身が入らなかった。
 

参院選奈良選挙区で当選を決め、記者会見する自民党の佐藤啓氏=10日夜、奈良市

 10日の投開票日。佐藤氏が他の新人候補を引き離し、大差で再選を果たした。数日前に報じられた情勢はなんだったのかと、少し拍子抜けした。「当確」判明後に佐藤氏が記者会見で述べた言葉は「今回の勝利の結果を明日、上京して安倍元総理にしっかりお伝えしたい」。ほかの選挙区で当選した自民党候補らも似たような発言をしていた。政治の世界の切り替えの速さを感じる。安倍氏が亡くなったのが遠い昔のことのように思えた。
 安倍氏の葬儀が執り行われた12日、自民党の高市早苗政調会長がツイッターを更新し、喪主を務めた昭恵夫人のあいさつを紹介していた。「最期に手を握り返してくれた気がした」。この一文を読んだ時、事件の一部始終がよみがえってきた。自分の目の前で撃たれた人が亡くなった。その事実の重みを初めて実感し、こらえ切れずに泣いた。

安倍元首相の葬儀が営まれた増上寺を出る妻の昭恵さん=12日午後2時37分、東京都港区

 白昼の蛮行から15日で1週間。ボイスレコーダーには生々しい音声が記録されている。だが必要に迫られることがなければ、もうあまり聞き返すことはないだろう。録音を聞くまでもない。日本で最も有名な政治家の命を奪ったあの銃声音は、今も耳にこびりついて離れない。

安倍晋三元首相が銃撃された現場付近に花を手向け、手を合わせる女性ら=8日午後7時45分、奈良市

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