中国残留婦人との交流15年 横浜の千島寛さん、写真集刊行

長年交流した4人の残留婦人について語る千島さん

 終戦後、中国大陸にとどまらざるを得なかった日本人女性「残留婦人」と15年にわたり交流し、晩年を撮影した写真家の千島寛さん(66)=横浜市港北区=が写真集「中国残留婦人─家族─」(神奈川新聞社刊)を刊行した。

 1945年、旧満州(現中国東北部)は日本の敗戦によって様相が一変した。日本人女性は連れ去られたり、家族を守るため中国人男性の妻となったりした。子どもは「日本鬼子」とさげすまれ、貧困や暴力にもさらされたという。

 千島さんは95年から22回にわたり中国各地を訪れ、終戦当時25~30歳だった残留婦人4人と会話を重ねた。2010年までに全員が亡くなり「写真を発表しないままでは彼女たちに申し訳ない。戦争が『中国残留婦人』という存在を生み出したことを知ってほしい」という思いを抱いてきた。

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