「災害情報」 予測精度向上も残る課題 ネットで情報発信も… 長崎大水害から40年<3>

コンピューターによる雨雲レーダーを分析する気象情報官=長崎市南山手町、長崎地方気象台

 あの日、降りしきる雨の中、当時20歳だった男性(60)は長崎市浜町のアーケードで公衆電話の受話器を手に取った。両親に無事を伝えたい。でも電話がつながらない。別の場所でも試したが駄目。
 中には使えそうなものもあるが、そこには50人ほどが列をなしている。結局、へそまで水に漬かりながら八景町の自宅へ歩いて帰った。「連絡が付かずに心配した家族が多かったのでは」と男性は振り返る。
 県の「7.23長崎大水害誌」によると、▽加入電話故障1万2千台▽電柱倒壊600本▽公衆電話の被害500カ所-などの通信機器の被害が発生。全国各地から安否確認の電話が殺到して生き残っている回線が混み合い、事実上不通状態となった。
 1982年7月23日午後4時50分、長崎海洋気象台(当時)は大雨・洪水警報を発表。その情報や激しい雨が降る様子はテレビで中継されたが、スマートフォンや携帯電話などがない時代。情報を入手できないまま、豪雨の恐怖に打ちのめされた人も多かった。
 あれから40年。大水害を機に「記録的短時間大雨情報」が新設され、気象データの観測・解析技術は格段に高まった。近年、各地で局地的な豪雨被害をもたらしている「線状降水帯」について、気象庁は6月から半日前予測の運用を開始。今月15日、本県を含む九州全域と山口県に初めて発表され、18日には、対馬市や壱岐市などで発生が確認された。
 予測が出た15日夕、長崎市は避難所9カ所を開設。桜馬場地区ふれあいセンター(同市桜馬場1丁目)には3世帯4人が集まった。40年前の大水害を知る同市本河内2丁目の貞島美結子さん(70)は「40年前も雨が滝のように降った。怖くなって避難所に来た」と身を震わせた。
 線状降水帯の発生予測はまだ精度に課題があり、現時点では広範囲への発表にとどまる。気象庁は2029年度に市町単位での情報提供を目指している。
 日進月歩で気象予測の技術が向上する一方、市民の災害情報の入手については今なお課題が残る。
 同市の海辺近くに住む60代男性は大雨や強風の日には防災無線が聞こえない。市は「ネットで情報を発信している」と説明するが、周りはスマホを持っていない高齢者ばかり。防災ラジオが頼みの綱だ。
 市は、自治会長や民生委員らに無償で貸与しているが、在庫に限りがあるため希望者には有償で提供している。「せめて各世帯への配布などを検討すべきだ」と男性は語る。


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