松本典子「Straw Hat」ポスト松田聖子の夢を託された上質なデビューアルバム  37年前の今日 ― 1985年7月21日 “癒される魅力” にあふれるアルバムが登場

埋もれた名曲、松本典子「春色のエアメール」

BS12(トゥエルビ)で今も不定期で放送が続く『カセットテープミュージック』。スージー鈴木氏とマキタスポーツ氏が昭和歌謡を掛け合いで再評価しているこの番組は、コード進行も含めた独自の観点と選曲が新鮮で、つい見てしまう。特に、80年代に聴いたまま記憶の底に埋もれていた曲と再会した時は、タイムカプセルを開けた時のようにゾクゾクする。

早見優をゲストに迎えた第44回「日本アイドル史概論Ⅱ(2019年7月放映)」で、松本典子のデビュー曲「春色のエアメール」が流れた時が、まさにそうだった。“埋もれてしまった名曲” としてマキタ氏が紹介したこの曲を聴くうちに、霧が晴れるように記憶がよみがえるのを感じた。典子がデビューした1985年、私は確かに彼女の曲を聴き、清楚な歌声とルックスに惹かれていた。しかし、なぜかぷっつり聴かなくなり、記憶の底に沈めていたのだ。

これを機に、私はサブスクに入っていた典子のベスト盤を聴き、アルバム2枚を中古で買って聴いてみた。その中で、ファーストアルバム『Straw Hat』は良曲が多く、彼女の清楚でふんわりした歌声が心に染みた。30数年前と同じように。

ということで、松本典子の『Straw Hat』を中心に、彼女の “埋もれた” 魅力を考察してみたい。

松本典子の声で素質を見抜いたプロデューサー若松宗雄

松本典子がデビューしたのは、高校1年の春に姉の推薦で応募した「ミス・セブンティーンコンテスト」で、網浜直子と共にグランプリを受賞したのがきっかけだった。もともと彼女は歌手やアイドルになる意志はなく、高校卒業後は電話交換手か地方公務員になって早く結婚したかったそうだ。いかにも昭和らしい。

しかし彼女には、持って生まれた歌手の素質があった。グランプリを決める決戦大会の前に、松田聖子の育ての親であるCBSソニー、若松宗雄プロデューサーの目に留まったのだ。予選審査の映像を見て彼女の清楚な声に惹かれた若松氏は、「この子は自分がプロデュースする」と決めていたらしい。これは聖子を発掘した時と同じ。声で素質を見抜いたのだ。

そんな若松氏のゴリ押し(?)を受けた彼女は、翌1985年3月にデビューを果たす。芸名は、若松氏が松田聖子に似せて命名(「松」と「子」を付けたかったらしい)。ニックネームは “のりりん”。デビュー時の髪型は聖子カット風。聖子をかなり意識したことがわかる。その極めつけが、アルバム『Straw Hat』である。

色や季節感がてんこ盛り、松田聖子風に仕上がったアルバム「Straw Hat」

このアルバムには、聖子の曲の影響があちこちで見られる。まず、収録されたシングル2作品のタイトル。「春色のエアメール」は「赤いスイートピー」の出だしの歌詞を、「青い風のビーチサイド」は「青い珊瑚礁」を想起させる。聖子には色や季節感を含んだ曲が多いが、このアルバムも同じ。「Good-byeあなた色の街」、「グリーンの夏」、「レモネードの午后」など、聖子の曲を連想するタイトルが並び、歌詞の中も、色、季節感、リゾートを表現した言葉がてんこ盛りだ。

また、制作陣もミュージシャンを中心に多彩な顔ぶれ。デビュー曲を制作したEPOのほか、矢野顕子、上田知華、岸正之、柴矢俊彦といったアーティストが作曲に名を連ねる。アレンジャーも、聖子の楽曲を多く編曲している大村雅朗や、船山基紀、武部聡志、大谷和夫といった実力者が加わり、華やかで上質な音を聴かせてくれる。

特に、大村雅朗氏が作曲・編曲した「なるほどネ!!」は、まるで聖子の曲を聴いているような仕上がり。高揚感があるアレンジが素晴らしく、何度も聴きたくなる名曲だ。三浦徳子や麻生圭子らの作詞陣も、聖子をイメージさせる言葉を意図的に歌詞に散りばめているように思える(デッキチェアー、入江、ウインク、白いバルコニー等)。おそらく若松氏は、聖子のアルバムを意識した曲作りを制作陣に依頼したのだろう。

ただ、松本隆が曲を書いていないのは意外だ。この時期の松本氏は斉藤由貴や芳本美代子を担当していたので、バッティングを気にしたのかもしれない。後年に若松氏は「松本典子は自由にやりたかった」と語っているので、松本氏抜きで聖子風のアルバム作りに挑戦した可能性も高い。それが結果として制作陣の力を引き出し、良曲が揃い、作品性を高めたように思う。

「いっぱいのかすみ草」で感じられた “癒される魅力”

そして、もう一つアルバムの作品性を高めているのは、典子の清楚で上品な歌声と、曲によって歌い方を変えている点である。感情を込めたり、発声に凝ったり、ささやくように歌ったりと、若松氏や現場スタッフの指示に従って歌う姿が見えるようだ。しかし、多少たどたどしくも聖子に似せようと頑張って歌う声が、上質なアレンジの楽曲(聖子風ソング)と化学反応を起こし、不思議な魅力を発生させているように思う。

特に私が彼女らしいと感じたのが、アルバム一曲目のスローバラード「いっぱいのかすみ草」である。彼女の清楚でほんわかした歌声が心に染みて、聖子にない癒やされる魅力を感じる。幼なじみの彼への想いを綴った歌詞も素晴らしく、隠れた名曲だ。

生真面目さ故? ボーカリストの素質を生かしきれなかった松本典子

その後の松本典子は、ユーミンが作曲した3作目「さよならと言われて」で、この年の日本レコード大賞新人賞に選ばれる。翌年以降も、中島みゆきや久保田利伸から曲の提供を受けたり、セカンドアルバムでダンスナンバーに挑戦したり、リバイバルソングを歌ったりと、歌の幅を広げてゆく。しかし、残念ながらヒットに恵まれず、念願だったベストテン入りも果たせなかった。多少迷走した感も否めない。

若松氏によれば、当時の典子は「色々な人が色々なことを言うから、歌い方がわからなくなっちゃって」と漏らしていたらしく、誰の言葉を優先するかを見抜く力が足りなかったと評している。ボーカリストの素質を生かしきれなかった要因は何とも言えないが、言われた通りに頑張る生真面目さが、彼女の持ち味を見失わせたように思えてならない。

そんな彼女の持ち味である清楚な歌声が聴ける『Straw Hat』は、埋もれた名盤としてもっと評価されていい。

カタリベ: 松林建

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