グランド・ファンク「Can You Do It」: ザッパと組んだバンド最後の全米シングルチャートイン曲

1976年8月、グランド・ファンク・レイルロード(Grand Funk Railroad)は全米シングルチャートのトップ100圏内にランク入りした。このバンドは、名前を一時期”グランド・ファンク”に変えていたが、この年の初めにあらためて、”レイルロード”を付け足していた。そして、このチャート入りシングルは、彼らにとって奇妙なウィニング・ランとなった。[(https://www.udiscovermusic.jp/stories/frank-zappa-eastern-europe-vaclav-havel)

ミシガン州出身のグランド・ファンク・レイルロードはミリオンセラーを連発する人気バンドだったが、この年の初めに従来の作風とは大きく異なる重苦しいアルバム『Born To Die(驚異の暴走列車)』をリリースした。しかし、その後、実質的に解散状態となり『Born To Die』のアメリカのアルバム・チャートにおける最高位は47位というものだった。

それまでの7年間、グランド・ファンクはたくさんのアルバムをヒットさせてきたが、『Born To Die』はその中でも最も低い順位に留まった。しかしながらその後、非常にクリエイティブな異端の天才が彼らとの仕事に興味を示しているという知らせが入った。

フランク・ザッパとのコラボ

そうして生まれたのが、1970年代のグランド・ファンクが最後に作り出したアルバム『Good Singin’Good Playin’(熱い激突)』である。同作のプロデュースを担当したのは、ほかならぬフランク・ザッパだった。

このアルバムがチャートに登場する前にシングル「Can You Do It」がチャートにランク入りしたが、この曲はほかのアルバム収録曲とは異なり、グランド・ファンクのマーク・ファーナーが作った曲ではなかった。

それどころか、この曲はメンバーが青春時代に好んで聴いていた古い曲のカヴァーだった。「Can You Do It」は1964年にモータウンのグループ、コントゥアーズが出したR&Bのヒット曲で、当時、アメリカではチャートのトップ20に喰い込んでいた。

この曲を共作したのは、元ディスタンツで後にモニターズやテンプテーションズのメンバーとなったリチャード・ストリートとモータウンのボス、ベリー・ゴーディーの元妻、テルマ・ゴーディだった。

グランド・ファンクによる同曲のカヴァー・ヴァージョンは全米シングルチャートで初登場82位を記録。その翌月には51位まで急上昇したため、チャート上位に達しそうな雰囲気が漂っていた。

しかし、結果的に最高位は45位というもので、グランド・ファンクがアメリカのシングル・チャートに登場したのはこれが最後となった。一方、アルバム『Good Singin’ Good Playin’』は最高52位を記録するが、グランド・ファンクは再び活動を休止している。

その後、ザッパはこのバンドの元メンバーに手を差し伸べている。彼はニュー・ミュージカル・エクスプレス誌にこう語っている。

「(グランド・ファンクのドラマーの)ドン・ブリューワーが何もしていなかったから、一緒に活動しないかとすぐに声をかけたんだ。ドンはひどく気弱で自信なさげだけど、本当に良いロックンロール・ドラマーだよ……彼が時々髭をもじゃもじゃに生やすのは、髭を隠れ蓑にするためなんだ」

ザッパとブリュワーは一時期は一緒に活動していたが、まもなくブリュワーはグランド・ファンクのほかの元メンバーたちと新たなバンド、フリントを結成している。

Written By Paul Sexton

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