【幕末維新 山口れきし散歩】 No.30 「雨田草堂」

▲雲を集めて返り梅雨(山口市徳地島地)

 島地黙雷(しまじもくらい)、1838(天保9)年、佐波郡垰村(現・周南市垰)、専照寺の四男として生まれた。

 1867(慶応2)年、徳地島地の妙誓寺住職になると、島地姓を名乗り、やがて広い世界へとはばたいていった。今日の新聞の先駆けとなった新聞雑誌の刊行、教状視察団の一員として欧州諸国やインドを訪問、女子文芸学舎(現・武蔵野大学附属千代田高等学院)を設立するなど、その活動は多岐にわたった。

 そんな彼の憩いの場が「雨田草堂(うでんそうどう)」である。これは、還暦を迎えた黙雷のために地元の有志が建てたものである。

 彼は全国各地を布教する途次、愛するこの地を訪れ、村民たちと交誼を重ねたという。

防長史談会山口支部長 松前了嗣

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