「銃が欲しい。喉から手が出るほど」安倍元首相銃撃の山上容疑者がこだわり続けたもの 「権威」を狙った凶行の背景

鑑定留置のため奈良西署を出る山上徹也容疑者=25日午前10時14分

 「オレが憎むのは統一教会だけだ。結果として安倍政権に何があってもオレの知ったことではない」。安倍晋三元首相(67)を銃撃した山上徹也容疑者(41)のツイッターのアカウントには、元首相殺害を示唆するような内容が投稿されていた。事件発生から3週間。検察当局は山上容疑者の刑事責任能力について判断するため、事件当時の精神状態を調べる手続きを始めた。凶行に至る背景には何があったのか。捜査で判明した情報と関係者の証言から容疑者の実像に迫った。(共同通信取材班)

 ▽生い立ち―母の入会をきっかけに家庭崩壊

 山上容疑者は1980年9月、京都大出身の父親と地元の公立大を卒業した母親との間に生まれた。兄と妹がいる3人きょうだいで、母親の実家は建設会社を営む裕福な家庭だった。だが、この恵まれた環境は、84年12月に父親が自殺したことをきっかけにほころび始める。
 

世界平和統一家庭連合(旧統一会)の本部が入るビル=13日、東京都渋谷区

 容疑者の伯父によると、母親は父親の死後、宗教に傾倒するようになり、91年ごろ旧統一教会(現世界平和統一家庭連合)に入会する。同時に、父親の死亡保険金から2千万円を献金したという。その後も保険金を原資に高額献金を重ね、父親が残した金はすべて教団につぎ込んだ。当時住んでいた自宅や、親族から受け継いだ会社の事務所も売却し、その利益計4千万円も教団に納めた。ささげた資産はあっという間に1億円を超えた。
 父親の死後、伯父も生活費の一部を仕送りしていたが、一家の暮らしぶりは急激に悪化する。県内有数の進学校に通っていた容疑者は経済難で大学へ進むことを諦め、母親は2002年に破産した。
 家族を顧みない母親の信仰は、容疑者の心をむしばんだ。海上自衛隊に在籍していた05年1月、容疑者は自殺を図っている。一命を取り留めた後、海自の聴取には「統一教会によって人生と家族がめちゃくちゃになった」と説明し、伯父には「自分が死ねば、経済的に困窮する兄妹に死亡保険金を残せると思った」と明かした。
 だがその兄も約10年後に自殺してしまう。母親の高額献金を機に人生が一変し、住む場所や進学先を奪われ、家族まで失った容疑者は、どん底まで追い詰められた末に教団への報復を決意した。

山上徹也容疑者の自宅に、家宅捜索に向かう捜査員ら=8日午後5時13分、奈良市

 ▽元首相を標的に―新型コロナで計画変更、教団トップの「身代わり」に

 容疑者が最初に狙ったのは旧統一教会創始者の故・文鮮明氏の妻で、教団トップの韓鶴子総裁だった。
 容疑者のツイッターのアカウント(現在は閉鎖)から投稿が始まったのは19年10月。これは愛知県で開かれた教団の集会に出席するため、韓総裁が来日した時期と重なる。捜査関係者によると、容疑者は当時、火炎瓶を持って会場近くまで足を運んだものの中には入れなかったという趣旨の供述をしているという。

記者会見を開いた世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の田中富広会長=11日、東京都内のホテル

 しかし、教団幹部をターゲットとしていた当初の計画は、新型コロナウイルスの感染拡大によって頓挫する。各国が出入国を徹底的に規制し始めたため、韓総裁が来日する機会はなくなり、容疑者自身が海外に出向いて襲撃することもできなくなったからだ。
 計画の変更を迫られた容疑者が、次に狙ったのが安倍元首相だった。その理由について、奈良県警の聴取には「(韓国から)教団を招き入れたのは岸信介元首相。だから(孫の)安倍元首相を殺した」と供述している。
 岸氏は文氏と長く交友があり、文氏が1960年代に設立した政治団体にも関わったとされる。安倍元首相も文氏と韓氏が創設した別の団体にビデオメッセージを寄せていた。文氏らがつくった教団とその他の団体、そしてそれを支援してきた政治家一族の系譜が、容疑者には一つながりに見えたのだろう。

山上徹也容疑者が送ったとみられる安倍元首相の殺害を示唆する手紙の写し

 一方、事件直前にフリージャーナリストの男性に書き送った手紙では「安倍は本来の敵ではないのです。あくまでも現実世界で最も影響力のある統一教会シンパの一人に過ぎません」と明記していた。憎むべき敵は旧統一教会や教団幹部であり、安倍元首相は「身代わり」に過ぎない―。その意図をはっきり記した文面に、勝手な解釈を拒もうとする容疑者の強い思いがにじむ。

 ▽銃器への執着―独学で試行錯誤を繰り返し、完成度を高める

 

山上徹也容疑者の自宅から押収された手製の銃のようなもの=8日、奈良市

 山上容疑者のこだわりは、銃に対する執着にも見て取れる。前出の男性に送った手紙では「喉から手が出るほど銃が欲しい」という率直な記述も見られた。県警の捜査では、容疑者が何度も試行錯誤を繰り返しながら、理想の銃をつくり出そうとした過程が明らかになった。 

 金属製の筒、バッテリー、テープ、配線…。銃製作に必要な部品や材料はインターネット通販で買いそろえ、ユーチューブの動画を参考に精巧な銃を自作していた。自宅には、未完成のものを含む手製銃7丁のほか、弾丸や火薬を詰め込む薬きょうの役割をする小さなプラスチック製容器もあった。「銃や弾をつくるために使った」というはかりや工具類、ミキサーなども押収されている。
 薬きょうに詰める火薬も自宅でつくっていたようだ。調合した火薬を乾かす時は、自宅とは別に借りた集合住宅の一室や、シャッター付きガレージを使用していた。銃の試作品が完成するたびに、県内の山中でドラム缶や木製の板に向けて試射を重ねる周到ぶりだった。
 一般的に、自作の銃は火薬の量を間違ったり、銃口とは反対側の穴の閉じ方が甘かったりすると、点火時の爆発に銃身が耐えられず暴発するおそれがある。だが容疑者が事件で使用した銃にはそうした欠陥はなかったとみられる。銃を使った海外小説の翻訳を手がけ、銃器に関する著作も多数ある小林宏明氏は「自作の銃としては完成度が高い。相当、試作を繰り返したのでは」と驚く。

 こうした手製銃のノウハウは、容疑者が過去に所属していた海上自衛隊でも教えられることはなかったという。海自トップの酒井良海上幕僚長は19日の記者会見で「(容疑者は)銃を全く触ったことがない民間人に比べると知識は得ていると思う」としつつ「銃の自作能力を自衛隊の教育や訓練で得ることは無理だ。所要もなく、教育訓練を行うこともない」と断言した。

 ▽足取り―入念な準備、大胆な犯行

 県警の捜査によって、事件の数日前から当日までの容疑者の動向も判明した。これまでに明らかになった情報を時系列に整理すると以下のような流れになる。
 7月3日、インターネット上の情報で、岡山市で7日に開かれる演説会に安倍元首相が出席することを知る。
 6日、JR奈良駅で岡山行きの新幹線乗車券を購入。その日の夜、自宅のパソコンで島根県在住のフリージャーナリスト宛ての手紙を書き上げる。
 7日午前4時ごろ、奈良市内の住宅街で、教団の関連施設が入るビルに向かって手製銃を試し撃ち。事件後の捜査で、ビルの壁面とその付近では弾痕のような穴が6カ所確認される。
 7日午後、岡山市内に入る。市内中心部にあるコンビニで、店内に設置された郵便ポストに封書を投函する。前日に作成したフリージャーナリスト宛ての手紙とみられる。

岡山市内の防犯カメラに写った、山上徹也容疑者とみられるショルダーバックを掛けて歩く男=7日

 7日夜、安倍元首相が演説する岡山市北区の市民会館を訪れる。襲撃する機会をうかがったが、周囲にはSP(警護官)が張り付いていたため近づけず。この日の襲撃を諦め、帰りの新幹線に乗車。その車中、スマホで目にした情報から、安倍元首相が8日に近鉄大和西大寺駅のロータリーで遊説することを知る。
 8日午前10時ごろ、大和西大寺駅の周辺で複数の商業施設に出入り。様子をうかがう。
 8日午前11時半ごろ、安倍元首相が駅北口のロータリーに到着し、交差点内に設置された演説台に上る。容疑者は十数メートル離れた歩道から、安倍元首相の背後に徐々に近づく。約7メートルの距離まで迫ったところで、ショルダーバッグの中から手製の銃を取り出し、1発目の引き金をひく。約3秒間でさらに2メートル距離を詰め、2発目を発射。これが安倍元首相の致命傷になった。

奈良市で街頭演説をする自民党の安倍元首相。右奥から2人目は山上徹也容疑者=8日午前

 ▽1300以上のツイート、フォロワーは0人

 容疑者が安倍元首相を狙った背景について、奈良女子大の岡本英生教授(犯罪心理学)は「権威を狙うことで達成感を得ようとする目的もあったのではないか」と分析する。

 容疑者の手紙の中でも、安倍元首相は「現実世界で最も影響力のある統一教会シンパの一人」と位置づけられていた。母親の高額献金によって家庭が崩壊し、生活が困窮した容疑者にとって、憲政史上最も長く政権を握った政治家は別世界に住む権力の象徴そのものだった。

「天宙平和連合」のイベントに寄せられた、安倍元首相のビデオメッセージ(公式サイトより)

 岡本教授は「『何をしても報われない』と人生を悲観する中で、影響力のある人物を襲って『満たされない欲求』を解消しようとしたのだろう」と推測する。さらに「誰かに共感してほしいとの思いが強かったのに、周囲に悩みを相談できる人がいなかったため、孤立を深めたのではないか」と話す。
 実際、容疑者が登録していた人材派遣会社によると、今春まで派遣社員として勤務していた京都府内の工場で、容疑者が他の同僚らと交流するような場面はあまりなかったという。ツイッターの投稿数はアカウント開設からの約2年9カ月間で1300件以上に上ったが、報道に取り上げられる直前の17日午前時点のフォロワーは0人だった。

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