「飾りそうめん」をお供え 長崎・日吉で地蔵まつり 鎧兜、人形で無病息災願い

年長者からそうめん編みの手ほどきを受けながら鎧兜を作る人々=長崎市飯香浦町

 長崎市日吉地区の成尾地蔵堂(飯香浦町)と丸尾地蔵本堂(太田尾町)で23、24の両日、それぞれの地蔵まつりがあり、生のそうめんを複雑に編み上げた「飾りそうめん」などを供え、地域の人々が無病息災を願った。
 成尾地蔵尊は1533年に、丸尾地蔵尊はその約30年後に祭られた姉妹地蔵と呼ばれ、まつりは江戸時代中期に始まったとされる。それぞれ団子や落雁(らくがん)、桃まんじゅうの供え物で祭壇を飾り付け、そうめん飾りは飯香浦が鎧兜(よろいかぶと)2体と幅約2.4メートルの幔幕(まんまく)、太田尾は男形と女形の人形(ひとがた)を1体ずつ作る。いずれも1975年に市の無形民俗文化財に指定された。
 飯香浦町では、住民が23日午前中にそうめん編みを開始。長さ2メートル余りの生そうめんの束を竹の棒で均等に取り分けながら手早く編んだ。乾燥すると切れるため扇風機も付けられず、額には大粒の汗。初めて編み手を担った峰和秋さん(54)は「事前にひもで編む練習をしたけれど、生そうめんは力加減や扱いが難しい」と話し、年長者から助言をもらっていた。

かねの音を響かせながら、供え物を担いで歩く「お下り」=長崎市太田尾町

 お地蔵様の前に幔幕をかけ、供え物がそろうと、夕方からお参りの人が集まり、当番地区の男性たちが浄土宗の「双盤念仏」を唱えてかねを打ち鳴らす「鉦(かね)張り」があった。同まつり保存会の峰富士雄会長(75)は「どうしてそうめんを飾るのか、資料が残っておらず不明なことが多いまつり。11年後の500年祭に向け、関心を持つ人が増えたら」と話した。
 24日、太田尾町では「ヤーソーラ」と声を合わせ、飾り物全てを担いで本堂から公民館へ運ぶ「お下り」でフィナーレ。本年度施主元会代表の佐賀里昌人さん(79)は「昔も念仏を唱え無病息災をお願いしたのだろう。2年ぶりに開催でき、コロナもきっと退散するでしょう」と力を込めた。


© 株式会社長崎新聞社