見てるだけ…?

 ここ数日、数字に対する感覚が少しずつ破壊されているような気がする。月曜日の「815」を見た時に感じたのは「ああ、前の日の半分だ」。いや、これだって相当な多さなのに▲一時期「10代以下の感染が中心」という説明があった。学校が夏休みに入ったのだから、数字も下火に向かわないか-と考えていたら、火曜日は「2029」、昨日は「2034」。コロナ新規感染の勢いが止まらない▲不要不急の外出自粛や飲食店への時短要請が続いていた頃、日々の感染者数は今よりも低い水準で推移していた。県内の感染者が100人を超えた日は、とうとう3桁かと言葉を失った。大げさに言うなら隔世の感▲政府や自治体の対応が“右往左往”に見えた時期もあった。今は策らしい策を何も打たない。感染者数の増減に動じなくなった、と歓迎してよいのだろうか。これが「ウィズコロナ」なのだ、と理解すべきなのか。いずれにせよ説明が足りない▲専門家組織は昨夜、「急速な感染拡大が続いている」として、最大限の警戒を持って注視することが必要-とのメッセージを出した▲米大リーグの中継で見逃しの三振が「ジャスト・ルッキング」と実況されることがある。スゴい球だ、手が出ない、打者は見ているだけ…。「注視」。少し似ていないか。(智)

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