40万人割れ

 その年、長崎空港がオープンした。小学生の塾通いが過熱した頃でもある。〈あんた、あの子の何なのさ〉と、みんなが流行歌を口ずさんだ。ざっと並べても、1975(昭和50)年という年の活気が伝わる▲長崎市の人口はこの年、45万人を超えた。小学生だった筆者は「佐世保市25万人、長崎市45万人」と頭に刻んだが、それも遠い遠い時代らしい。長崎市の推計人口が40万人を割り込んだという▲「平成の大合併」で周りの町を編入して一時的に増えたが、また減少が続いている。佐世保市も今や23万人台。県全体では昨年の春に130万人を下回った。60年には176万人に達したが、今はその4分の3ほどになった▲「活気ある昭和」と、よく懐かしんで言われる。旧懐の念にとどまらず、造船業や水産業で栄えた頃の本県は、実際に「活況」の一語に彩られたのだろう▲長崎市では人の転出数が転入数を上回る「転出超過」が著しい。MICE(コンベンション)施設で外から訪れる「交流人口」を増やす。新幹線を観光にも生かす。人を呼んで活気を生む時代への、今は転換点にある▲人口が減る一方で、大きく姿を変える県都の2020年代を、未来の人はどう見るだろう。「あの転換期があってこそ今がある」。願わくば、そう思われるまちにしたい。(徹)


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