繰り返さないために… 被爆バイオリンの音色 ロシア人教員の遺品

被爆したバイオリンで犠牲者を追悼する奉献演奏が、先日、広島市の教会でありました。礼拝中に奏でられた特別な音色は、聴いた人たちの心にどう響いたのでしょうか。

広島市中区の広島流川教会です。77年前、爆心地から800メートルにあった広島流川教会は、多くの信徒が犠牲になりました。

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創立135周年の記念事業として被爆バイオリンが演奏されました。焼けた黒い十字架が掲げられた礼拝堂で、教会員たちはその音色に静かに耳を傾けました。

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この日、被爆バイオリンを弾いたのは、オランダ・アムステルダムのロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の楽団員・栗田智子さんです。

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栗田さんは、広島流川教会の教会員で、被爆バイオリンの存在は今回、初めて知ったそうです。

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バイオリニスト 栗田智子さん
「(被爆バイオリンは)26日に教会に届いて、まだ自分の楽器というふうにはなっていないんですけど。きょう、この日にこうやって弾かせていただくというのは、なんかやっぱり意味があるのかな。一生懸命弾きたいと思います」

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被爆バイオリンは、当時、広島女学院の音楽教師だった白系ロシア人のセルゲイ・パルチコフさんが愛用していました。

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ロシア革命を逃れ、広島へたどりついたというパルチコフさん。爆心地から2.5キロの牛田旭で被爆しました。

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壊れた家からバイオリンを探し出したといいます。戦後は一家でアメリカへ。パルチコフさんが亡くなった後、1986年に娘のカレリアさんが遺品のバイオリンを広島女学校へ寄贈しました。

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3か月かけて修復し、2012年以降、50回を超えるコンサートで貸し出されています。

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原爆の日(8月6日)を6日後に控えた礼拝では、およそ80人の信徒に被爆バイオリンが紹介されました。

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広島流川教会 向井希夫牧師
「倒れた家屋の中から取り出したバイオリンが今回のものです。彼ら家族の被爆地での日々はどれくらい不安と孤独の中にあったことでしょう。このバイオリンの価値、演奏される意味は、被爆を経験した歴史をわたしたちが忘れることなく、語り伝えることにある。特にきょうは、このあと、被爆バイオリンの奉献演奏が行われます」

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バイオリニスト 栗田智子さん
「祖父やおばから被爆の体験も聞いていますし、自分にとって身近な人たちが亡くなっていくというのが戦争だから。本当にそれは悲しいことで絶対いけないことだと思います」

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聴いた人たち
「被爆の日が近い日に追悼しながら聞くことができて感動しました」

「今までで一番きれいな音色でした。栗田さんのすごい腕前が出てきて」

「音を聴きながら100年前に(パルチコフ)先生が弾かれたであろうこと、そして今のウクライナのこと。ちょっと涙が出そうでした」

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広島流川教会 向井希夫牧師
「2度と繰り返さないために平和を作り出していく1歩を自分たちが歩み出していかないといけないんだということをみなさんと一緒に祈ることができたと思います」

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バイオリニスト 栗田智子さん
「残ってくれてありがとう。楽器が平和への道に導いてくれたらいいなと思いますね」

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