連載小説=自分史「たんぽぽ」=黒木 慧=第19話

 移住斡旋所から港のあめりか丸までバスでの移動である。初めて見る大阪商船あめりか丸の大きな船体にびっくりしながら乗船する。私達、丈夫な若者達は船の中では一番条件の悪い部屋ということになる。私は一番船尾の部屋の二段ベッドの下の部に寝ることになった。今から四十数日間、ここが私の住まいである。部屋の割り振りも東日本組と西日本組に分けてあり、私のベッドの隣は高知県出身者が多かった。一応、部屋の準備が終わると甲板に出て、見送る人達との最後のお別れをすることになる。私には誰の見送りもないけど、仲間の中には恋人が見送りに来ていて、私も磯田君の恋人に紅白テープの先を持って貰うことにした。でも、大勢の見送り人である。数百本の赤と白のテープが風にはためいて、別れの声は騒音となって風に流れて行く。一九五五年八月四日の船出である。いよいよ船が岸から離れ始め、テープはちぎれて風に舞う。あー、これで日本との別れか。またいつの日、この日本の土を踏めるだろうか。見送る人も小さくなり、諦めと今から「ようし、やるぞ」と言う心の葛藤の中にも遠ざかる神戸の港を見つめていた。
 船は紀伊水道を抜け、太平洋の大海原に出ると、船の揺れが大きくなる。日本列島に沿って北上し、夜闇の中にしばらく港の灯がちらちら見えることもあるが、船は大きく揺れて、もう気分を悪くしている人も出て来た。今から十一日間こんな状態が続くと大変なことになりそうだ。実際、私も海には慣れてはいたけど、最初の三日間位、気分が勝れなかった。多くの人が船酔いでグロッキー状態であった。毎日見えるのは海ばかり。時折、他の船が行き交うと何か心が救われる思いになった。船の食事も三日目頃からおいしくなり、毎回の食事が待ち遠しくなってきた。
 十一日目にアメリカ大陸が見えて来た。ロス・アンゼルスの港に着く頃、陸地の丘を自動車がスイスイと走っているのが見える。そのうち、今度は南の方角の空に大きな怪物が現れた。気球船である。すごく大きなもので、ゆっくりと私達のアメリカ丸の上空を北へと流れて行った。この様に、アメリカの最初の印象はすごい国だなーと思った。船が岸に着くと黒人がきれいな乗用車に乗って来て、船のもやい綱を岸につないでくれた。私はこんな一般労働者でさえ自分の乗用車を持っているんだなーと感心した。
 ロスの港では一般移住者の上陸は出来ず、船からアメリカの陸上の様子を感じ取ることしか出来なかったけど、それだけでもアメリカはすごい国だという強い印象を受けた。

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