広島は、まもなく原爆投下から77年となる原爆の日(8月6日)を迎えます。核を巡る緊張はますます高まっている…、こんな状況だからこそ、わたしたちは、これまでに取材した被爆者の方の声を今一度聞くことが大事だと思っています。今回、お伝えするのは、放射線の被害です。
池本アイ子さん(被爆当時 9歳)と弟の徹さん(同 7歳)です。
2人は、爆心地から1キロの屋内で被爆しました。このときは幸い大きなけがをすることはありませんでしたが、数日後…。
2人の母 池本タメ子さん(1994年 証言)
「(被爆してから)4~5日して髪が抜け出した。あまりに抜けるから、お父さんが『抜けるだけ抜け』って言ったら全部、なくなった」
歯ぐきからの出血や発熱も…。放射線による急性障害でした。
■脱毛や下痢…体の異変を訴える被爆者が広島の各地で
原爆投下から間もなく、脱毛や下痢などを訴える被爆者が増え始めました。
広島市内にできた救護所で、力なく横たわるのは、竹内ヨ子コ(よねこ)さん(当時 31歳)です。けがのなかったヨ子コさんですが、被爆から1か月後、体調が急変しました。
足に大けがをした娘の陽子さん(当時 12歳)は、髪の毛が抜け、腕は糸のようにやせ細っていました。
母のヨ子コさんと妹の陽子に付き添っていたのが、信之さんです。
竹内信之さん(1995年 証言)
「治ると思っとったけえね。外傷がないから、お母さんは。だいじょうぶじゃと思っとったんじゃけど…」
ヨ子コさんは1945年10月、亡くなりました。
母を追うようにして陽子さんは翌月、息を引き取りました。
■被爆から何年もたった後でも…
池本アイ子さんと徹さんはその後、回復し、元気に過ごしていました。
放射線による急性障害は、1945年の暮れにはおさまったと考えられていました。しかし、被爆から4年後…。
徹さんは突然、体調を崩しました。歩くこともできませんでした。
2人の父 池本友一さん(1994年 証言)
「原爆症じゃな」
徹さんは、そのまま入院先の病院で亡くなりました。11歳でした。
姉のアイ子さんは、被爆から20年たった29歳のときにがんで亡くなりました。
2人の母 池本タメ子さん
「ええ子じゃった。わたしらが買い物に行って戻ったら、みそ汁こしらえてから待っとった。ええ子じゃったよね」
アイ子さん・徹さんきょうだいのように被爆から何年も後になって亡くなる人は後を経ちませんでした。
原爆の放射線は、何年たっても被爆者の体をむしばみ続けているのです。
厚生労働省によりますと、全国の被爆者の平均年齢はことし3月末時点で84.53歳。また、被爆者の人数は去年より8820人減って11万8935人となりました。
あの日の体験を直接聞くことができる時間は、限られています。