80年代洋楽にビジネスを学ぶ:ビートルズの著作権をマイケル・ジャクソンが買収? ②  レノン=マッカートニーを取り巻く著作権ビジネス、その問題点とは?

『80年代洋楽にビジネスを学ぶ:ビートルズの著作権をマイケル・ジャクソンが買収? ①』からのつづき

手元を離れてしまったレノン=マッカートニー楽曲の著作権

さて、マネジャーのブライアン・エプスタインが1967年に他界した後、ジョン・レノンとポール・マッカートニーは著作権を取り返そうとノーザン・ソングスの買収に動き出した。が、会社を実質的に切り盛りしていた筆頭株主のディック・ジェイムズは、2人に内緒で株式を英国の民放テレビ局ATVに売却してしまう。

そして69年、遂にジョンとポールは保有していた全株式をATVに売却(このあたりの経緯は少々複雑なので割愛)。レノン=マッカートニー楽曲の著作権という「宝の山」は、完全に彼らの元を離れることになったのだった。

その後、この株式はあちこちをたらい回しにされるのだが、実は彼らにも買い戻せるチャンスがあった。ジョンが亡くなった翌81年のことである。提示された金額は2000万ドル。ポールは、ジョンの相続人であるオノ・ヨーコに共同購入を持ち掛ける。しかし、彼女の返事は「No!」。金額が「高すぎる!」と言うのだ。結局、この話はお流れとなってしまった。そして、数年後、この2倍以上の金額でマイケル・ジャクソンに買収されたのは、前篇に書いた通りだ。

蛇足だが、ポールは「ガール・イズ・マイン」や「セイ・セイ・セイ」でマイケルとの共演が続いていた82~83年頃、自らの痛い経験を振り返って「著作権を所有することの重要性」をマイケルに熱心に説いていたそうだ。だから、ポールにとっては、まさかマイケルに持って行かれるとは、「飼い犬に手を噛まれた」ような気分だったのではないだろうか。

いずれにしても、これによって、ポールがザ・ビートルズ時代の楽曲を演ったり使ったりする度に、マイケルに著作権使用料を払う羽目になった。このせいで、ポールとマイケルの関係は少なからず険悪になったというのは想像に難くないし、マイケルの行動が義理を欠いていると感じられるかもしれない。だが、経済合理性の観点からは、このマイケルの意思決定は100%正しい。

その前に、ヨーコがポールの提案を断った理由について、想像ではあるが、彼女が「自分の曲を買うのにどうしてそんなに払わなくてはいけないの?」と考えたとしても、全く不思議ではない。と言うより、むしろ多くの日本人にとっては、これが自然な反応かもしれない。

リターンを重視したマイケル・ジャクソンのファイナンス感覚

だが、マイケルは全く違っていた。おそらく彼は「レノン=マッカートニー楽曲が将来どれだけ稼いでくれるかを考えれば “お得な買い物” だ」と考えたのだろう。要するに、支払う「コスト」を気にするヨーコに対して、マイケルは将来手に入れられるかもしれない「リターン」に意識が行っていたのだ。このように「リターン」を重視するマイケルのスタンスは、とてもファイナンス的だと言える。

ファイナンスとは「将来に稼ぐと期待できるお金の総額を最大化しようとする」行為やその為の理論のことで、例えば、M&A(合併・買収)で会社を買う時の「価格」の算定もファイナンスの考え方に基づいている。

この時のマイケルも、ファイナンスの考え方に基づいて、「レノン=マッカートニー楽曲の著作権が将来生み出す儲けの総額」の方が「買収額=4750万ドル」よりも大きいと判断したのである。

真面目な話、僕はこうしたマイケルのスタンスを、日本のビジネスパーソンは大いに見習うべきだと思う。何故なら、多くの日本企業が、目先の利益(売上からコストを引いた差額)を最大化することにフォーカスし過ぎるあまり、縮小均衡型の衰退サイクルに陥ってしまっているように感じるからである。

アマゾン・ドット・コムの創業者で CEO のジェフ・ベゾスは、1997年の株主レターの中でこのように明言している。

「財務諸表の見栄えを良くするか、将来のキャッシュフロー(儲け)の現在価値を最大化するかを迫られた時は、キャッシュフローを優先する」

参考文献: 『ビートルズのビジネス戦略』武田知弘著(祥伝社新書) 『ファイナンス思考』朝倉祐介著(ダイヤモンド社) 『会計の世界史』田中靖浩著(日本経済新聞出版社)

※2019年2月19日に掲載された記事をアップデート

カタリベ: 中川肇

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