<南風>生と死

 私の父は、いくつになっても好奇心が強く、活発な人で、「俺は100歳まで生きるから、千賀子の老後の世話をせなあかんわ」などと真面目に言うような面白い人でもあった。だから、51歳の夏以降、疲れやすくなった、夏風邪が治らないと言っているうちに、あれよあれよと衰弱し、その年の初冬に末期がんの宣告を受けた時、父自身も家族もあまりの展開の速さに付いていけなかったように思う。結局父は、年が明けてすぐに入院先の病院で逝ってしまった。

 母は、父の最期の瞬間まで付き添っていた。死の恐怖と一人逝く孤独と必死に闘っていたこと、最期の瞬間は穏やかに笑っていたこと、看護師さんに人気の患者だったこと、身体がきついのによく喫煙室に行きたがったことなど、入院中の父の様子は母が細かに教えてくれた。

 私が直接父から聞いた忘れられない言葉は「退院したら、ここの地元の名物を絶対に食べてから帰る」で、そうしようねと答えてから病室のドアに向き直った瞬間にどっと涙があふれた。父の前では母も私も一切泣かなかった。一番泣きたいのは父だし、泣いても何にもならないことを分かっていた。

 死にゆく父は、生きたいと渇望する人間の精神の強さとそれがかなわない絶望の深さ、死が目前でも命が消える瞬間まで人間は生そのものの存在であることを教えてくれた。父のおかげで、私にとって誕生日は、また1年永らえられたことを感謝する日となった。

 あと少しで私は父の年齢に追い付く。しかし父がいなくなったことを私の脳はいまだに理解しきれていないようである。父の元気な声や家の廊下を踏み鳴らす音が時折はっきりとよみがえるのに、絶対に会えないことに我知らずいら立つ。そして泣けなかった分の涙が不意にあふれてくる。

(林千賀子、弁護士)

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