広島で原水爆禁止世界大会 核廃絶に向けて大きなうねり

8月4日から6日、私は広島市で開催された原水爆禁止世界大会に、和歌山県代表団の一人として参加してきた。これまでに何度か広島を訪ねてきたが、原爆忌を現地で迎えたことはなかった。1945年に人類初の原爆が投下されてから77年、核兵器禁止条約が発効して初の締約国会議が開かれた直後のヒロシマでの体験をリポートする。(和歌山信愛女子短大副学長 伊藤宏)

世界大会では、締約国会議で議長を務めたオーストリア外務省のアレクサンダー・クメント軍縮局長がゲストスピーチを行うなど、核廃絶に向けて世界では大きなうねりが起こっていることを実感できた。同時に、核禁条約に被爆国である日本が参加しないことが、いかに恥ずべき状況であるかを改めて痛感した。

広島市で開催された原水爆禁止世界大会

会議を終えた後、和歌山県原水協の被爆体験学習講座があった。講師は被爆2世で、2002年から広島県被団協平和学習部長を務める大中伸一さんだ。大中さんは「被爆者がゼロになった時に、自分たち2世が被爆を語り継ぐ世代になる」と前置きして話を始めた。被爆者の高齢化の深刻さがうかがわれる。大中さんは父親の被爆の状況とともに、戦後の被爆者が結婚差別や就職差別など、精神的にも多大な苦痛を受け続けたことを語ってくれた。

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また、国連に報告された1945年末までの広島の死者数が約14万人(誤差1万人前後)となっていることについて「市役所をはじめとした行政機関が壊滅して、住民票などが消失してしまったため、死者数が特定できないのです。原爆は一瞬で、人の営みの記録までも葬ってしまいました」と説明した。長崎に比べ、広島では被爆直後の写真などの記録が少ないのは、中心部に落とされメディア関係者のほとんどが犠牲になってしまったからだという。

その夜、平和公園に足を運んだ。生まれて初めて、ライトアップされた原爆ドームや原爆の子の像を見た。慰霊碑の周辺には線香のにおいが漂い、ひざまづいて一心に読経をする人の姿があった。

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