1970年の大阪万博のシンボル「太陽の塔」で知られる芸術家、岡本太郎(1911~96)が旅した沖縄を舞台にしたドキュメンタリー映画「岡本太郎の沖縄(完全版)」が大阪・第七藝術劇場で始まった。監督は葛山(かつらやま)喜久さん。日本中を旅した太郎がほれ込んだのは沖縄だけで、何がそこまで太郎を引き付けたのか、太郎にとっての沖縄とは何かを、太郎と同じ沖縄を歩く旅を通し解き明かす。(新聞うずみ火 栗原佳子)
岡本太郎はパり大学で民族学などを学び、帰国後、日本の原点をさぐった「縄文土器論」を発表した。各地で日本再発見の旅をし、最後に向かったのが米軍統治下の沖縄だった。1959年、10日間ほどの旅で那覇や読谷村、やんばる、八重山などを歩き回り、数百枚に及ぶ写真を残した
96年には当時の論考が「沖縄文化論 忘れられた日本」として出版され、没後の2000年には写真集「岡本太郎の沖縄」が編まれた。
「長い旅」の出発点となった写真集を手にする葛山監督
葛山監督はこの写真集を15年ほど前、偶然手にし、表紙の写真に心をつかまれた。白い髪をたばねた気品ある高齢の女性。沖縄本島知念岬の東に位置する久高(くだか)島で祭祀をつかさどる「ノロ」だ。太郎の7年後の再訪は、この島の12年に一度の祭祀「イザイホー」に合わせた取材旅行だった。
葛山さんも沖縄で、太郎がたどった土地を訪ね歩いて写真や映像に収めてきた。11年に太郎生誕100年の企画として写真集の軌跡をたどるテレビドキュメンタリーを制作、18年にドキュメンタリー映画「岡本太郎の沖縄」を発表した。復帰50年の今年、前作からさらに取材を重ね、再構成・再編集した「完全版」を完成させた。「太郎さんの存在を通して、見た方々も自分自身を見つめる感覚になるのでは」と葛山監督。
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久高島のイザイホーは1990年を最後に途絶えた。ちなみに太郎は66年のイザイホーで風葬の場に足を踏み入れたとして非難を浴びた。葛山監督は関係者に取材し、事件の真相にも迫った。
作品のチラシには「久高ノロ」の写真をあしらった
大阪中之島美術展では展覧会「岡本太郎」が開催中(10月2日まで)で、東京、愛知への巡回に合わせ、それぞれ上映が予定されている。