「進歩と調和」掲げ大阪衰退 「70年万博」の悪夢再び

大事件や政治的な動きがあると、関心がそちらに向き、大切なことが遠くに追いやられる。開幕まで千日を切った「大阪万博」もその一つだ。表裏一体の関係にある「IR=大阪バクチ」については関心も高く、反対の声も大きく、維新や公明によって否決されたが、住民投票を求める直接請求も行われたが、万博についてはほとんど反対の声が上がっていない。万博はIRに利用されるだけだというのに。(山本健治)

山本健治。愛称は「ヤマケン」。高槻市議、大阪府議を務め、フリーライター、評論家。ワイドショー番組のコメンテーターとして活躍。その辛口なコメントは「ヤマケン節」と呼ばれた

■「ハンハク(反戦万博)」知っていますか

私はかつて「関西ベ平連」の事務局長を引き受けていた。いまから53年前の1969年8月7日から11日まで、関西のみならず全国のベ平連をはじめさまざまな市民運動の人たちと、大阪府下の吹田市から茨木にかけて千里丘陵の自然を破壊して開催されようとしていた「70年万博」に抗して「ハンパク(反戦万博)」を開催した。

いまは大阪城公園、大阪ビジネスパークとなっている旧大阪陸軍造兵廠(大阪砲兵工廠)の跡地を借り、全国各地から反戦・反安保・反公害・反薬害をはじめ、教育・福祉・行政をめぐる様々な問題に取り組んでいた300を超えるグループや個人が集まって、パビリオンなどとはとても言えないが、問題提起するコーナーを設け、資料を置き、チラシを配って、大テントで講演会をしたり、小テントで徹夜で議論をたたかわせたりした。

70年万博開催を記念して発行された記念祈念切手

68年6月2日、九州大学に墜落した米軍のファントム戦闘機の残骸も展示した。講演・討論以外に、フォークコンサート、演劇、映画、パフォーマンスなども行った。参加者は70年万博の6400万人には遠く及ばないが、3万人は超えた。最終日の御堂筋デモには1万人以上が参加した。

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■夢はバラ色、現実は

なぜ、「ハンパク」を開催したか、その理由は70年万博が掲げた「人類の進歩と調和」というテーマに根本的な疑問を抱いたからだ。技術の進歩で未来はバラ色だという幻想をばらまき、70年万博を成功させると、大阪は世界で知られる都市になる。大阪府や関西財界は、大阪経済も関西経済も元気になって、みんなの暮らしもよくなると宣伝していたからだ。

すべてのメディアが競ってあおり立て、全国各地の繁華街や商店街では「万博音頭」が流れ、万博に反対する者は「非国民」状態だった。

だが、当時はアメリカがベトナム民族を皆殺しにするような戦争を続け、ナパーム弾で焼き払い、村人全員を虐殺し、いまロシアがウクライナでやっているよりひどいことをしており、日本は日米安保でアメリカに協力していた。

我々は、こんなことをほっておいて、何が「人類の進歩と調和」だと叫んだ。技術の未来は明るい、バラ色だというが、水俣病やイタイイタイ病をはじめとして日本国中で公害や環境破壊、薬害も起きている。森永ヒ素ミルク事件の被害者は苦しんでいる。教育の機会均等と言うが、貧困や差別で義務教育も受けられない人がいた。こんな問題を放置して、「万博音頭」を歌って踊っている時かと叫んだのだ。6400万人が入場し、70年万博は大成功だと言ったが、我々は「壮大なゼロ」だと思った。

大阪はあれから衰退し始めたことは府も市も財界も知っている。なのに、いままた同じことをしようとしている。黙って見ているのか。

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