<南風>真っ白の画用紙

 両親ともに着物の染色家だったため、わが家は仕事道具として古今東西の名画集、美術雑誌、ファッション雑誌があふれており、物心ついたころからそれらを絵本代わりに見るのが楽しかった。自然と、目だけは肥えたが、実際描くのはからきしダメな子どもだった。

 小学3年のとき、授業で初めてスケッチをすることになった。張り切ってイケてる構図を探し、体育館と外廊下が絶妙な角度に見える眺めを題材に決めた。終業のチャイムが鳴った時、私の画用紙は文字通り真白なままだった。どこをどうやって描けばいいのかも分からず、線一本引くことすらできなかったのである。寄ってきた担任の先生は、外の光に輝く真白の画用紙と私を少し眺めた後、一言、「林さんがこんな人だとは思わなかった」とつぶやいた。描けなかったことも担任の言葉も深く心に刺さって、しばらく涙が止まらなかった。

 とはいえ、スケッチは描き上げなければならず、帰宅後正直に母に相談した。母はあっけらかんと「まずはとっても簡単な構図からにしようね、そうしたら大丈夫、描ける!」と笑った。画用紙が真白なままに授業が終わってしまったことは、聞こえてもいないようであった。そして私は、そんな簡単なことに気づけなかった自分に驚きながらも、勇気が湧いた。翌日の放課後、早速、体育館が真横に見える構図に決めて、とにかく描いた。全くイケてない構図であったが、線を引き、色を塗る楽しさにわくわくした。

 この時のことは、今でも、できない自分を受け入れてできるところから始めようという自身への教訓と、こういう場面での「こんな人だと思わなかった」という言葉がいかに人を傷つけるかという反面教師としての出来事として、ささやかであるが私の人生の「一事件」なのである。

(林千賀子、弁護士)

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