アツいスペクタクル!ジョーダン・ピールらしからぬ 『NOPE/ノープ』茶一郎レビュー

はじめに

お疲れ様です。茶一郎です。期待作『NOPE/ノープ』(以下、『NOPE』)いよいよ公開となりました。『ゲット・アウト』、『アス』と、今最も新作が期待されている監督ジョーダン・ピールの最新作。ジョーダン・ピール史上最もアツく楽しいスペクタクル大作となっておりました。と同時にやはり一筋縄ではいかないジョーダン・ピール。その「スペクタクル大作」に対しての批評を入れ込んだ「映画についての映画」故に、オリジナリティに富んだそんな一本です。一体、どんな映画なのかという事で、『NOPE』)お願い致します。

あらすじ

映画、CM撮影に使う馬を調教する牧場を経営するヘイウッド家。半年前、牧場主である父を事故で亡くし、主人公OJと妹エメラルドは牧場を継ぎますが、妹エメラルドは牧場ではなく俳優・歌手・映像プロデューサーでの成功を夢見ている、兄妹の仲は悪く、牧場の経営も悪化。そんな中、 OJはある晩、謎の飛行物体を目撃します。牧場のある郊外で何が起こっているのかという『NOPE』でございます。

総論

ジョーダン・ピールらしからぬと言ってしまっても良いんでしょうかね…とにかくアツい!楽し い!エモーショナル!ジョーダン・ピールの過去作『ゲット・アウト』、『アス』。突飛な設定と同時に映画全編に張り巡らされた過去の映画からの引用。イースターエッグ。カルチャーネタ。緻密な作りですがやや頭でっかち理屈っぽさがジョーダン・ピールの良し悪しだと思うんですが、本作『NOPE』はその頭でっかちを超えて強く観客に感動を与えるアツさがありました。

このアツさを「名も無き者たちの映画史/エンタメ業界への復讐」と表現しましょうか。広くオススメしやすいブロックバスター、スペクタクル大作であると同時に、「スペクタクル大作」自体についての批評にもなっている「スペクタクル大作についてのスペクタクル大作」という「こんな映画見た事ない」体験を観客に与えるオリジナリティもあります。明らかに監督一皮剥けています。ネクストステージ。そんな『NOPE』でございました。

さぁここからがレビュアー泣かせという感じ、というのもご存知の通り、予告を見ただけでは本作、何の映画かサッパリ分からないほどに情報を遮断しております。映画始まって0秒からの内容がすでにネタバレになってしまうというタイプの映画です。具体的に終盤の展開を申し上げるという事はしませんが、ここからは予告以上の情報も踏まえて『NOPE』をまとめますので、この段階で作品が気になった方は劇場へ。ここからは本編ご鑑賞後にお聞きいただく事を推奨いたします。

!!以下は本編ご鑑賞後にお読みください!!

名も無き者たちの映画史への復讐

「名も無き者たちの映画史/エンタメ業界への復讐」という『NOPE』。この「名も無きもの者たち」という言葉は、この『NOPE』の劇中に印象的に登場するポスター『ブラック・ライダー』という映画から。この『ブラック・ライダー』はアフリカ系俳優のパイオニアであるシドニー・ポワチエの初監督作の西部劇。シドニー・ポワチエといえば同じく主演作の『招かれざる客』が ジョーダン・ピール初監督作の『ゲット・アウト』の設定の元ネタだったなんてことを思い出しながら、『ブラック・ライダー』は黒人奴隷が解放された南北戦争直後、まだ差別が根強く残っている最中、黒人の西部開拓者を描く珍しい黒人監督による黒人主役の西部劇でした。その冒頭のテロップには「この映画を名も無き彼らに捧げる」とあります。まさしくこの『ブラック・ライダー』も本作『NOPE』も「名も無き者たちに捧げられた」一本と言えると思います。

歴史から無視された「名も無き者」は映画の誕生にまでさかのぼると、この『NOPE』は言います。予告でも印象的に使われていました「映画の始まりから黒人の存在が抹消されていた」と。写真家エドワード・マイブリッジによるとても有名な逸話「馬が走っている時に、その馬の脚4本は同時に地面を離れるか?」、「離れる」いや「離れない」。そんな賭けを証明するために馬を連続撮影したエドワード・マイブリッジの名前は教科書に載っている。皆知っているけど、この馬に乗っている調教師であり、俳優であり、最初の映画スターであるアフリカ系の騎手の名前は知られていないじゃないかと、妹エメラルドがプレゼンする訳です。とても面白い入りだなと思いました。

このアフリカ系騎手を筆頭に、『NOPE』には色々な「名も無き者たち」、映画のために、その見世物、スペクタクルのために一方的に搾取され歴史からは無視された、名前を消された者たちが登場します。アフリカ系だけではない、アジア系。子役。「者」と言いましたが、動物たちもそれに含まれます。馬、パンくん的チンパンジー。この『NOPE』は「名も無き者たち」の「名」「名前」を章のタイトルとして、一章、二章、三章……と、言葉通り「名を刻む」章立てで展開される、「名も無き者」の名を刻んでいく構成の映画になっています。

郊外に謎の飛行物体が現れ、どうやら人々を襲ってきているのか?くるのか?という、『未知との遭遇』やジョーダン・ピールが敬愛するシャマランの『サイン』、最近は『メッセージ』なんて傑作もありました、何回も見たこの「謎の飛行物体モノ」「アライバルモノ」というジャンルですかね、一見そういったよくあるジャンルの『NOPE』ですが、ここに「名も無き者たち」「名も無き動物たち」が、「見る・見られる」という権力構造における「見る」という特権的な行為をもって彼らを一方的に搾取し続けてきた我々、観客に復讐しに来る、襲ってくるというそういう見事な設定を組み込み、唯一のオリジナリティを確保しています。

「名も無き者たち」が襲ってくるというのは、まさしく監督前作『アス』が格差社会における“見えない存在”、持たざる「名も無き者」が襲うという話でしたので、その『アス』を映画史、エンタメ、観客の「見たい」という欲望に置き換えた作品が本作と言っても良いと思いました。“見えない存在”をSF的にそのまま画面上に出した『アス』、本作では「見られてきた」「見世物」として消費・搾取されてきたモノを、飛行物体としてそのまま映画に出してしまうという、この「それってもはやメタファーじゃなくね?」という設定の飛ばしっぷり、メタファーをSF 的な設定で画面にそのまま出すというのが、『アス』から続いてジョーダン・ピール節ですね。ただ『アス』と違って、本作は主人公たちもまたアフリカ系、「名も無きもの者」であるというのが本作の「名も無き者である主人公たちが映画史に名を刻む」アツさに繋がってくる訳なんですが。

監督の話

「本作の悪役は人間誰もが持っている『見たい』という欲望である。本作は観客と“見世物”との関係性についての映画だ」とこれはジョーダン・ピール監督の言葉で、非常に終盤までは丁寧に丁寧に、ちょっと初見時は冗長だな、「タメが長いな」と思うほどにゆっくり進む『NOPE』で「早く謎の飛行物体の正体を見せてくれ!」と思って見ていたら、まさしく自分の「見たい」という欲望にカウンターパンチを食らわすかのような展開をしていくという。ある「見世物」初披露のシーンがあります。その「見たい見たい」と思っている観客たちを喰らう。自分も食べられてしまった、マンマとジョーダン・ピール監督の掌の上で転がされている感じが悔しかったですね。ちょっとある馬小屋のサスペンスとか、「ジョーダン・ピールにしては」という枕詞付きですが、サスペンスの見せ方が弱いかなと思ったシーンもあった事は確かです。「ジョーダン・ピールにしては」ちょっと平凡なシークエンスがあった事は申し上げておきます。

人々の「スペクタクルを見たい」という欲望、「スペクタクル大作についてのスペクタクル大作」というメタ的な構造の『NOPE』です。もっとも本作は『ジョーズ』、『未知との遭遇』、前作『アス』でも主人公の息子が『ジョーズ』のTシャツを着ていました、そこからつながるかのように ジョーダン・ピールが敬愛するスピルバーグに捧げられている一本で、この「見世物」初披露のシーンからは『宇宙戦争』の冒頭のシーン思い出しました。空に何やら異変が起きて、主人公の近隣 住民が空を「見上げている」、主人公もつられて空を「見上げる」、主人公の顔、リアクションショット。『レイダース』の冒頭アクションでもいいです、『ジョーズ』の主人公の顔アップ、『ジュラシック・パーク』で初めて恐竜を見た主人公の「見上げる」ショットが有名でしょうか。スピルバーグ作品で印象的なショットは、この「見る」というか「見上げる」ショット、主人公の視線の先にあるものではなく、「見る」主人公のリアクションでシーンを構築していくというのがスピルバーグ作品の特徴だと思います。

最近の作品では『ジュラシック・ワールド/炎の王国』という作品はまさしくこのスピルバーグ的な顔のアップ、「見上げる」リアクションショット、『ジュラシック・ワールド』という看板ですが、『レイダース』、『最後の聖戦』とか『ジュラシック・パーク』以外のスピルバーグ的な演出を作品に入れ込んだ、この『炎の王国』もスピルバー グ作品に対する分析をストーリーに組み込んだスピルバーグ批評スペクタクルだったと思いますが、本作『NOPE』はこの「逆」なんですね。『NOPE』は「見上げない」「見上げてはいけない」「見てはいけない」という主人公たちはスピルバーグあるあるショットの逆のアクションをするというのが面白いですね。「見上げる」「見る」ことで一方的に見る対象を搾取する奴らから襲われていく、だから「見ない」「見てはいけない」というスピルバーグ作品への批評性、スピルバーグ的だけどやっているアクションはスピルバーグ的ではないという、この『NOPE』の面白さです。

主人公たちは「見てはいけない」ですが、我々観客は「見る」ことができます。これは観客という特権を存分に堪能したいあたり。本作で我々の「スペクタクルを見る」体験を補強するのは、ご覧になった誰もが誉める撮影ですね。何と今回、撮影監督はホイテ・ヴァン・ホイテマ、この ホイテ・ヴァン・ホイテマによる65mm、IMAXカメラによるゴージャスな映像を堪能できる作品になっております。このホイテ・ヴァン・ホイテマの起用も「ジョーダン・ピール、分かっているなァ」と舌を巻きます。ホイテ・ヴァン・ホイテマといえば、トーマス・アルフレッドソン作品の素晴らしい撮影はもちろん、本作の撮影に繋がるのは最近のノーラン作品ですね。あの『インターステラー』の広大な自然のロケ撮影。ノーラン作品以外だと『アド・アストラ』も素晴らしかった。主人公が経営する牧場、その郊外の壮大な自然、主人公たちが「見ない」空を大胆に広大に切り取るゴージャスな撮影。映画のテーマは「スペクタクルの否定」、観客の「見る」行為を否定する内容ですが、中身は映画館で体験すべきめっちゃ豪華なスペクタクルという故に「スペクタクル大作についてのスペクタクル大作」という『NOPE』のオリジナリティですね。「見た」観客が襲われる、でも「見て」消費すべき娯楽作。僕は今回、通常の上映版とIMAXシアター、2パターンで鑑賞しましたが、明らかに体験としてはIMAXが良かったです。当然ですが、ぜひ機会がありましたらIMAXでのご鑑賞いたします。

さいごに

「見る」という特権にふんぞり返っていた観客に復讐する『NOPE』。「見世物として消費するな!」「見るな!」と。ただこの『NOPE』のアツさは主人公たちが「見る」アクションに戻るとことにあります。本当に「見る」べきものを知る物語という感じですかね。これが不仲になっている主人公OJと妹エメラルドの関係性、特に妹エメラルドの物語ですね。幼少期、牧場を経営していた父は兄ばかりに目を向けて、自分は自分の馬Gジャンを託してもらえなかった。牧場、家族というコミュニティを離れて、自身はエンタメの世界、「見世物」の世界に足を踏み入れた。「飛行物体を撮影したい!」「見たい!」と見世物で搾取する側に行っていたエメラルドが真に「見る」べきものに気付く。幼い頃からずっと自分のことを見てくれた兄、自身の過去、目の前にいるその人であると。このエメラルドの本当に「見る」べきものを知る物語、これは強い感動を呼びますね。

本作『NOPE』の、今まで頭でっかちだったジョーダン・ピール作品から飛び出したエモーショナルな物語を見て、改めてジョーダン・ピール作品、まだ3作品しかありませんが、実は全てが「過去」に囚われていた主人公、多くは過去に罪悪感、後悔を抱えた人物がその過去から解放される事で未来に向かう物語りだという事に気付かされました。『アス』については、ちょっとネタバレになるので言いづらいですが、その主人公が過去に抱えているトラウマが逆転する展開がある作品だったので同列に並べにくいですが、特に『ゲット・アウト』ですね。家に帰ってこない母親という現実を直視せずに、テレビを見続けて、現実から逃避して母親を救えなかったという過去の罪悪感をずっと抱え続けている主人公のトラウマが冒頭で明かされます。今、自分でも言葉にしてすごい本作『NOPE』と似てると気付きました。まさしくテレビという「見世物」を見て、本来は見るべきだった現実を見ていなかった主人公が、その罪悪感、過去から解放される選択をしていく。『ゲット・アウト』の主人公が、本作のエメラルドに置き換わり、ショービズ界での成功以上に、ずっと自分を見てくれた兄の存在に気づき「見る」。兄のジェスチャーとその視線の先にいるエメラルド、お互いがお互いを「見る」ただ二人を交互に映すだけのシーンに強く感動しました。泣きました。

ジョーダン・ピールが本作の脚本を執筆したきっかけが「2020年のコロナによるロックダウン下、コロナ禍での悲劇」だったというのも、少し想像が入りますが、伝わる気がします。ロックダウンにより世の中から映画が消えた、見世物それ自体が消えた中、観客を悲劇から立ち直らせる楽しくアツい「スペクタクル大作」を作ろうと。まさしくクリストファー・ノーラン監督が『TENET テネット』をコロナ禍で強行公開したのと意志は重なって見えます。見事に楽しくアツいスペクタクル大作『NOPE』を作ったと同時に、そんな悲劇の中、本当に自分が「見る」べき対象は自分の目の前にいる人だと、家族であり、友人であり、パートナーであり、ペットであり、何でもいいです自分の目の前の人に向き合おう、そして自分の心、自分を縛り付けている過去と向き合おうと。

今の「見世物」の代表格であるMCUマーベル・シネマティック・ユニバースのフェーズ4を筆頭にコロナ禍の映画作品の多くは「喪失と向き合う者」の物語、目の間にいる人と向き合いそして自分の心の傷と向き合う物語を語っていますが、そういったコロナ禍の時代精神としてリンクして、よりエメラルドの過去と対峙し、本当に「見る」べきものを知る物語の強度を大きくしていると思います。

観客の「見たい」「見たい」とその欲望を煽りながら、その「見る」ことを否定しながら、真に「見る」べき対象を提示して大感動で締めるという、エメラルドが過去から解放され真に「見る」べき兄を見つめるラストと並行して、「名も無き者である主人公たちが映画の歴史に名を刻む」 写真を映して終わるという、ジョーダン・ピールとは思えないアツいアツい物語。ジョーダン・ピールのネクストステージ、今後とんでもない作家にどんどんとなっていくんじゃないかと今回の新作は『NOPE/ノープ』でございました。

【作品情報】
NOPE/ノープ
2022年8月26日(金)より、全国ロードショー
配給:東宝東和
©2021 UNIVERSAL STUDIOS


茶一郎
最新映画を中心に映画の感想・解説動画をYouTubeに投稿している映画レビュアー

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